2008年10月31日金曜日

本買い過ぎ

いや、久しぶりにイギリス行ってきましたが、学生時代の癖が抜けきれず、本買い過ぎ。学生時代はパリに住みながら、3カ月ごとにユーロスターでイギリスに行き、指導教官のアドバイスを受けるという移民生活をずっと続けていたわけで、この頃から、イギリス行ったらまず学校の図書館で学術書コピー。それが済んだら即古本屋。で、見つけた本は財布の許す限り絶対買うというポリシーを貫いておったわけだが(というのも、いつでも読めると思ってパリに帰ると、絶対パリでは見付からないから)、よくわからないが今回は昔の先生や友達(今やみんな教鞭取ってます)なんかと再開するケースが多かったこともあって、いつの間にかあの頃の行動パターンが戻ってきてしまったようで、帰りの飛行機で鞄の重量が7キロ増えるくらい本を買ってしまった。まあほとんど古本かつ、今まで買わずにいたり、パリと東京とロンドンを行き来する間に紛失してしまった基礎文献なんで、それほど散財という感じでもなかったし(途中からポンドがむちゃくちゃ安くなったというのも完全に追い風)。というわけで、ミドルトンの「Studying Popular Music」とか、フリスの「On Records」をゲット。ミドルトンはニューカッスル大学でPMSを教えていたのだが、現在は引退したとのこと。今回残念ながら会えなかった重要人物の一人である。その他、アラン・ムーアの「Rock: the Primary Text」やルーシー・グリーンの「How Popular Musicians Learn」など一連のアッシュゲートのシリーズ。どちらもポピュラー音楽教育法へのヒント満載で、フリスもご推薦。「一次テクストたる音楽をそのものを聴け」というのは、ニーガスの訳本でやった対談で出てきた話だが、この辺りが参照点だったんだろう。変わったとこでは、フリスのコピーライト本(確か90年代初頭に出た、三井先生の論文が載っているやつ)がアップデートされて第二版となってました。内容全部変わってて全く別の本になっているんですが、トインビーの論文もあってかなり読み応えありました(といっても、2002年刊だから、もう5年以上前か)。写真のリロイ・ジョーンズ本は時間つぶしにたまたま入った田舎の古本屋でゲット。3ポンドくらいだったか。あと、なぜかジジェクの日本語訳とスロベニア語の原典?がロンドンの古本屋で、どれも50ペンスの箱に並んでいた。どっちも買わなかったけど。

ええと、エニョンのベンヤミン批評、最後の部分を訳すの全く忘れてました。しばしお待ちを。

2008年10月17日金曜日

Back in the UK

何年ぶりかでイギリスに来ております。今までお世話になった研究者やこれからお世話になるであろう研究者のみなさまに近況報告をするのと、来年に向けたネタ集めが狙い。一昨日リバプールについて、いまはエジンバラにいます。今日はこれからサイモン・フリス教授と面会します(なのでちょっとびびり気味)。火曜日にニーガス、木曜にトインビー、金曜日にサラ・コーエン、アナヒッド・カサビアンなどとあう予定。
しかしひさしぶりにイギリスくると大変ですわ。車が左側走っているの忘れて轢かれそうになったり、電車が全部民営化されてて切符の買い方わからなかったり…。
エジンバラはむちゃくちゃきれいな町です。格調高い(クラシックな)感じ。あからさまに(元)工業地帯的なノリのリバプールやマンチェスターと比べると、町歩いてる学生にも何処か上品な感じがある。エジンバラ大学には音楽学部しかなくて、フリスは現在そこの教授なんですが、いわゆるPMSのコースはありません。まあ、イギリスはもちろん世界のポピュラー音楽研究を見渡せる唯一のひとだと思うので、そのへんの印象,感想を拾ってくるのが狙い。それにフリスは僕の博論の外部試験官あったんで、挨拶もしとかないとと。
というわけで、エジンバラ観光は後回し。おいしくスコッチウィスキーを啜れるのはこの面会終わったあとですな。

2008年10月2日木曜日

Peter Szendy

今フランスで(ポピュラー)音楽研究をするんだったら絶対に避けては通れないと思われるピーター・サンディー博士に会うことが出来ました。かな〜り悪戯っぽいひとです。かつ、エピキュリアン。2000年に上梓された『ECOUTE』という本がものすごく評判になって、各国語に訳されています。日本語訳もずいぶん前から出る出ると言われているんですが、まだ出ていない。日本の友人たちがみんな待望しているから、早く出すようにと言っといた(笑)。

で、今月9日に新著が刊行されるとのこと。「Tubes : la philosophie dans le jukebox」というタイトルで、ポピュラー音楽を扱った論考となる。フランスの俗語でヒット曲のことをチューブと言うのだが、曲がヒットすることで、同じメロディーが繰り返され、大量生産され、大衆化・通俗化するという一面と、そのメロディーが個人の頭や体に絡みつき、あくまで個人的な、独特な経験(アウラ???)として経験されるということの矛盾を巡る哲学的論考。ちなみにサブタイトルは、マルキ・ド・サドの「la philosophie dans le boudoir(閨房哲学)」のパロディ。こりゃ今すぐ予約だよな。

前言ったような、フランスの音楽教育制度の矛盾(コンセルバトワールと大学の分業制度)を実際に生きてきた人だし、自分もそういうなかで教えてきているひとだから、やっぱりいろいろ役に立つヒントを教えてもらった。サンディー博士にとって、この分業制のなかで音楽実技と音楽理論を学ぶという作業は、まさに「スキゾフレニック」な事に映るそうで、大学で音楽学を専攻するというのは、大抵、実技方面で職にあぶれた時の滑り止め的な意味なんだそう。ハタから見てると判らんよな、こんなこと。

「ポピュラー音楽研究って、面白いけど、どうして誰も音楽そのものを分析しないの?」と非常に率直なコメントを頂きました。

昔、Ircamと社会科学高等研究院(EHESS)が共同で、現代音楽の理論と実技を統合したものすごい修士コースを設けていたらしく、普通の科目のほかに、世界中から作曲家やプロデューサーが来てマスタークラスをやっていいて、それにお金がかかり過ぎて今では閉鎖されているそう。聞いたことあるようなないような感じなんですが、もしなにかご存知の方がいれば、是非教えていただきたいです。

それでは。