2008年12月27日土曜日

これだけ大間違いをしてあれだけ有名になる方法(まとめ)

ガストロ大丈夫だったみたい。頓挫していた例の翻訳をまとめてお届けします。直さなきゃ行けない部分をいろいろメモしてたんですが、コンピュータの故障とともにメモを紛失してしまいました(おまけに図書館でコピーしたベンヤミンの原典は、子供たちが紙飛行機にしてしまった……)。多分誤訳やそれよりも恥ずかしい数多くの間違いを犯していると思いますので、暇だったらご指摘ください。それでは良いお年を!

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ベンヤミンによる芸術とアウラと距離、あるいはこれだけ大間違いをしでかしておいてあれだけ有名になる方法

昔、みんなが構造と権力を信用しきっていた頃、我々はヴァルター・ベンヤミンのあの有名な論文に多大なる影響を受けたものだった。あんなに唯物論を礼賛してきたマルクス主義的、批評的伝統が技術装置を手にしてしまったことに対する後ろめたさから、なんとかして逃れなければならない。これが、この論文が発表された遥か昔、求められていたことなのであった。

それまで、これらの技術装置は、使う人の狙いによって良いものにも悪いものにもなる、中立的な、単純な道具だと考えられていた。ベンヤミン、そして彼のフランクフルトの同僚たちは、これとは別の教訓を持ち込んだ。技術は権力を作り出す。「芸術を見てみるがよい」と彼らは言った。再生産技術にちょっとした変化があっただけで、作品そのものの内容に、そしてその受け手に、信じ難い変質がもたらされたのだ。キリストは間違いを犯した。パンが増殖することで、聖体のパン自体も実体変化を受けることになってしまったのである。

このメッセージは強烈なもので、そのため、皆の目に止まらないわけにはいかなかった。

この論文を今日改めて読み直してみると、我々のリアクションはかなり違う。先駆者たるベンヤミンに必要なオマージュを捧げ、現在ベンヤミンに対して行われている批評がどれだけベンヤミン本人に負っているかを認めた上で、我々は全く逆に、この論文が快活に犯している間違いの多さに茫然とさせられるのである。いや、もっと正確に言えば、近代にせよ、過去にせよ、分析対象とされた現象のほとんどについて、ベンヤミンが全く理解していないことに呆れてしまうのだ。
我々は、ベンヤミンの後光の強さに対抗するために、わざと同じくらい挑発的なトーンで、敢えて指摘してみたい。これらの間違いは、ベンヤミンの功績の土台となった数々の洞察力にしてみれば全く他愛ない、力強いテクストのなかの些細な間違いなどというかわいいものではなく、彼が読者に及ぼした(そして現在も及ぼし続けている)幻術の主因なのである。ほとんどの作者が忌避するような、無知丸出しのこじつけを通し、『複製技術時代の芸術作品』では、芸術、文化、建築、科学、技術、宗教、経済、政治、そして更には戦争や精神分析に至るまで、近代的生活の全ての局面が簡素に描かれている。そして、こうした言葉が出てくるたびに、我々は、ベンヤミンが議論の対象を取り違えているような印象を禁じ得ないのである。

何度も繰り返される二分法が、この論文の議論全体の基調となる。一方に、一回性や熟考、集中、そしてアウラがあり、他方に、大衆、息抜き、没頭、そしてアウラの喪失がある。

しかし、この「アウラ」なるものの位置づけはかなり曖昧である。「アウラ」はベンヤミンのテーゼのみならず、近代及び過去に関する現行の議論の多くにとっても中心的なものなので、より厳密に点検する必要がある。ベンヤミンはアウラを持ち出すことで、議論に正当性を与えるための非常に便利な手段を手に入れる。ベンヤミンが現在を分析する時、アウラは、失楽園のようなものになる。これはある種の否定的参照点であり、ベンヤミンはこれを頼りに、作品の再生産装置がもたらす新しい効果と、芸術の旧来の美に取って代わった大衆の誘惑を記述する。しかし、彼が過去を検証するときは、アウラに対するノスタルジーそのものもまた、幻想として、あるいは聖遺物として、つまり、崇拝的価値の残滓として、批判される。このように、近代芸術に対する批評そのものもまた、今や消滅してしまった選民的な芸術観に戻ろうとする、ブルジョワ的反動を意図するものとして批判されうるのだ。芸術の、規格化された近代的複製品は、現前性のオセンティシティを失った---しかし、現前性自体、古めかしい宗教的人工物に過ぎない、というのである。

我々は、芸術と宗教のあいだのこの第一のこじつけを、躊躇することなくベンヤミンの最初の間違いだと考える。神の隠し絵に捧げられた崇拝儀礼というものは、偶像崇拝の定義にこそ当て嵌まるもので、宗教の定義ではあり得ない。近代を批判するために宗教を取り上げておきながら、他方で宗教を批判するために近代を取り上げることは出来ないのである。あるいは百歩ゆずり、善良な近代合理主義者の風情で、アウラを宗教と同一視するとしよう。しかし、そうすると今度は、それと同時に芸術が神格を失ったことを非難出来なくなるはずだ。合理性という近代的道具は、宗教が目の敵にしてきたはずのフェティシズムと宗教そのものを区別しないのであり、それゆえ芸術の神格などはとっくに葬り去ってしまったのだ。逆に、近代が挑発したとされる芸術の「非神聖化」は、いかなる神聖な意味も持ち得ない。それがフェティッシュ的価値の喪失を目的としている以上、すでに失われたものに神聖な価値があるわけが無いのである---宗教は常に、神は形象ではなく、それを超えた何ものかであると言明してきた。それにも拘らず、この論文はアウラになにかしら実体的なものを盛り込み、そして神を偶像にすげ替えようとするものとして近代のフェティシズムを非難するのである。しかし、それならばなぜ、映画の話を持ち出すのか? どうして最新技術や大衆を持ち出すのか? 結局、近代についてはなにも言っていないのである。結局、聖書のなかの勿体ぶったお馴染みの預言者たちのように、大衆の信仰の対象である偶像やフェティッシュを覆しただけなのである!

しかし、ベンヤミン論文の最大の試金石は、技術そのものだ。実際には技術に関する直接的な議論はほとんど展開されていない。むしろ、当然の前提として示されている。技術の原則的機能は、オリジナルを機械的に再生産することである---そして我々は、この全く陳腐な定義こそ、ベンヤミンが犯した第二の、そして最大の取り違いだと考える。技術を機械的再生産と短絡するこの間違った定義を、オリジナルの単一的な存在という宗教的アウラの誤った定義と組み合わせて使うとき、ベンヤミンは、複製は、オリジナルの色あせた贋作に過ぎない、という結論に向かって一直線に突き進む。

ベンヤミンは自分のテーゼを支えに、芸術史を2ページだけで大胆不敵まとめているが、彼の議論の正反対に向かう一連の議論をするのに、芸術史ほどおあつらえ向きの領域はない。技術とは機械的再生産ではない。そもそも、最初にオリジナルなるものがあり、それがあとから複製されるということ自体が、実はあり得ないのである。つまり、この仮説が既に確固たる経験論的結果として受け入れているというのでない限り、作品の増殖それ自体が、作品の貧困化と同一視されるいわれはないのだ。

例えば、古代彫像に対する近代的嗜好の形成過程について分析しているフランシス・ハスケルとニコラス・ペニーの研究に目を向けてみよう。イタリア人発掘者が関心を示すとき、これらの古びた彫像は、古代的完全主義の見本とされ、また、イタリア的アイデンティティを再構築するための道具として使われる。発掘者はこれらの彫像一つ一つの美学的価値などにはほとんど関心を寄せず、彫刻家に対してもほとんど注意しない代わり、過去と現在のあいだの連続性を主張し、そして掘り出した彫像を、美の本質に触れるための積極的な媒介物として利用するのである。アウラに対する配慮など全くなしで、かれらは彫像を修復し、移動させ、複製する。彼らとって、芸術とは、オリジナルの純粋さに捧げられた信仰などではあり得ない。それは行為の奔流に他ならないのだ。ハスケルとペニーは、精密な議論を通して、全く逆に、むしろ複製のほうが、少しずつ、オリジナルを生み出していったことを証明する。過去や他者との結びつきを保つための手段であったものが、不変で不可触な「オリジナル」に変成するのに三世紀を要した---そして、これら古代ローマ彫像がオリジナルの地位を獲得してから、今度はギリシャ彫像という更にオリジナルな芸術の脇役の座に引きずり落とされるまでに、更に一世紀が必要であった。ローマ彫像はギリシャ彫像の色あせた複製に過ぎない,というわけだ。

オセンティシティという主題そのものが、実は、発明しうる全ての技術的手段を使った不断の再生産活動の一足遅れた副産物である。ベンヤミンは、芸術のコモンセンスというイメージの名において、その技術的複製物への変質を預言するのだが、このイメージ自体が、じつは継続的な技術的再生産の賜物なのである。ラテン語で芸術を意味するアルスとは、実は技術(テクニック)のことであり、このことを考えると、アーティスト達が自分たちの技術的手段に絶えず執着することが、ベンヤミンのでっち上げた芸術と技術の対立という図式よりもずっとすんなりと理解出来る。写真家は、写真を撮り始めるや否や、それをどうやってよりリアリスティックに見せるかではなく、焼き付けのために必要な数々の技術的選択に美的な意味を与え、印画紙の質やレンズの種類、構図などを洗練させる。ベンヤミンは、写真と同じくらい、映画についても勘違いをしている。映画には、機械的な部分など一つもない。ベンヤミンは、映画俳優とは大衆に無媒介に提供される「人格」だとしているが(xxp.231)、映画が切り取る俳優の平凡な表現ほど嘘くさいものはない---キャメラは単純に、長い連鎖に補足的な媒介を加えるのであり、その連鎖を切断するものではないのだ。撮影スタジオにおける現前性は、舞台上でのそれに比べて弱いわけでも、強いわけでもなく、またこれらの「パフォーマンス」のなかには同じくらいの技術と媒介が介在している。録音技師なら誰でも、自分の技術が生み出しているのは音楽そのものであり、なにかを再生産しているのではないことを知っているだろう。技術とは、常に、芸術生産の積極的な手段だったのであり、それまで世俗を超越していた創造物の近代的な堕落をもたらすものではなかった。ベンヤミンは、自らが批判しようとしていた、ロマン主義的なものの見方そのものの虜になっているのである。

もし、再生産なるものが、積極的な再創造であり、技術が機械とは関係ないとしたら、逆に増殖は、フェティッシュの具体的な消費のなかにおけるオリジナルのオセンティシティの消極的な溶解以外のなにものかである。むしろ、徹底的な技術的再生産の存在を、いわば必要不可欠の条件として前提としているのは、単一性やオセンティシティの法なのだ。音楽を例に取ると、このことが明確に分かる。つまり音楽の原初には、絶え間ない反復と規格性、構想、シェーマとその変奏があり、その後で作品というものが現れる。唯一無二の作品を作り上げる近代的作曲家などというものは近代期以前には存在しなかった。1750年という比較的最近の時点でさえ、ラモーは、自らのオペラを改めて上演する機会がある度に、その機会にあわせてそれを書き直していたのである。「イポリット…」や「ダルダニュス」の安定バージョンという言葉が幾ばくかでも意味を持ち始めたのは、20世紀中葉、レコード産業の都合にあわせなければなかったからに過ぎない。それまで、音楽は演奏されるために書かれ、作曲家は、主題とハーモニーという連続的な織物に基づいて複製し、採譜し、修正し、改変していた。もともとは、愛好家が一緒に演奏するために様々な写譜を混ぜ合わせたものであった楽譜なるものを、(二〜三世代の音楽学者がやっと作り上げた)特定の作曲家により書かれたオリジナル作品の原テクストの忠実な複製物に作り替えることは、精力的ないくつもの出版社による不断の努力なしには不可能であったはずだ。そしてその後、より長期的な第二の変形が、レコード産業の主導により、バッハやシューベルトの作品の作者がバッハやシューベルトであると理解出来る耳を持った、新しい愛好家向けのマーケットを生み出すために必要であった。絵画については、自分の描いた絵の作者として自らを変身させるために、レンブラント---そして彼以降の画家全て---が多大な努力と戦略的な洞察力を駆使していたことついて、スヴェトラーナ・アルパースが証明している。

この「作者」に関する指摘は、ミッシェル・フーコーの有名な論文以来、折にふれてあちこちで論じられている。ベンヤミンは当然、こうしたいわゆるニューアートヒストリーや作者性=権威に関する社会学について、知る由もなかったが、それでもやはり、彼が自分のテーゼを証明するために書籍の事例をほとんど使わなかったことは興味深い。あるいは、それほど驚くべきことでもないのかもしれない。「印刷機が多大な変化を…【中略】…文学に強要したことは、良く知られた話」(p.218-9)だと言うのは本当だとして、その良く知られた話というのは、実はアウラの消失とは全く違う話であり、作者の誕生と読者の新たな拡大の話なのだ。より精密に言うならば、印刷機の事例は、物資的媒体としてのテクストの機械的再生産と読書の普及とのあいだでベンヤミンが陥った混乱を、あるいはとても明確に証明してくれるかもしれない。ここでの機械的再生産は読書の単一性や多様性を妨げるどころか、全く逆に、読書の単一性や多様性を可能にしているのである。わたしが、今ここで個人的に「オテロ」を読むことが出来るのは、この本が世界中で何十億万部と印刷されて「いるにも拘らず」ではない。何十万部も印刷されて「いるからこそ」わたしの個人的読書経験は可能なのだ。

今や、技術に関するベンヤミンの議論がどういう矛盾の上を堂々巡りしているか、より明らかになったはずだ。ベンヤミンは、まるで以前からそうであったことに気がつかなかったかのように、技術にもう一度積極的な役割を付与しようとしたのである。自称理想主義者に対抗し、彼は我々の手中にある再生産手段が、生み出された作品に対して及ぼす夥しい重要性を強調した。しかし、このようにして敵対していたはずの理想主義者と同じように、ベンヤミンは、(芸術家やその観衆が絶えずそうしているにも拘らず)媒体の物質的存在にも、技術的反復の不断の活動にも、なんら積極的な役割を認めなかった。彼の成功の秘訣は、実はここにある。ベンヤミンのテクストは、どちら側にも快く聞こえるのだ。理想主義的な芸術史の裏に隠されている下部構造的な原理を暴くそぶりは唯物論者を喜ばせるが、その一方で、世界の技術化を、芸術の本来の姿を改めて機械により喪失させるものとして示すことで、結局最終的には理想主義者(あるいはすべての健全な唯物論者のなかに眠っている隠れ理想主義者)にもおもねるのである。

真に唯物的な歴史というものは、技術に正当な役割を与え直すものでなければならない。それを邪悪な近代的倒錯と看做すのではなく、いかにそれが芸術の能動的な生産契機であるかを示さなければならない。

誌面に限りがあり、本稿では、ベンヤミンの珍妙なテクストにより積み重ねられたすべての見当違いについて反論を展開することは出来ない。ここでは、経済というものと政治というものについてごく簡素に指摘するにとどめたい。これにより、ベンヤミンについて我々の行った指摘は、フランクフルト学派全般にも当て嵌まるものとなるはずだ。間違いは同じである。つまり、これらドイツの近代思想家は、技術装置に完全に支配された、群衆と同様に扱いうるものとして、近代大衆というものを体系的に描き出した。群衆の無統制な混交とその無媒介性に関する彼らの不安ゆえ---当時、彼らが不安を感じたのはもっともな話ではあるが---群衆は技術的・経済的大量生産と同一視されるようになってしまったのである。そうすることで、彼らは、自らの姿が誇大視されていることに引きつけられた支持者を獲得したのだ。しかしながら彼らは、アメリカの大衆とニュルンベルクの群衆という、敵同士を同じ穴の狢として扱う。アドルノが描いた、マス市場の黙示録的な光景とは裏腹に、アメリカの大衆はナチスの群衆を制止したのではなかったか。少なくとも社会学的な視点から見れば、商品および消費者の技術・経済的な操作(マス市場やマスメディアといったものが、その戯画化された例である)と、無媒介的に共有された空間と時間の共通のるつぼの中で個性を失う「熱い」群衆ほど異質なものはあり得ないのである。

技術は、距離を喪失させるのではなく、それを作り出すものだ。経済は、購買者と供給者の責任を特定の取引に限定することで、個別の消費の生産について扱う。フランクフルト学派の思想家たちが暴きだしたと主張する、テレビを見たりスーパーマーケットで買い物をする従順な大衆の背後に隠された、無媒介な群衆のなかでの我々の活動の要素一つ一つの全体主義的な融和などには、経済は関与しないのである。この意味で、ベンヤミンは間違いなくマルクス主義者である。彼は現実の様々な局面を、自ら主張する経済主義とは裏腹に、政治学的なモデルから借り出した、一つの語彙に還元しようと試みたのである。

複製機械時代における芸術作品に関する新しい唯物主義的な検証は、ベンヤミンの試みとは正反対に、見当違いを避け、不断に変わり続ける近代の定義と取り組み直すものでなければならないだろう。しかし、これには経済、宗教、芸術、技術、政治において可能な力学の諸相をはっきりと区別する必要があり、また、媒介の拡散を経験的に跡づけなければならないため、ベンヤミンのテクストのような魅力はどうしても持つことが出来ないものになるだろう。しかし、このベンヤミンの魅力の大部分は、上に示したように、彼自身が持ち込んだ混乱と、それにより可能となったお人好しな近代世界批判に起因するのである。

ガストロ?

う〜ん。胃のあたりが…。もしかすると明日から2〜3日動けなくなるかも。ニュースによると今年のフランスのガストロ(胃腸炎)のピークは昨日、今日らしいし。

気が思い…。

2008年12月25日木曜日

iPhone、競争法に抵触だって

一週間前くらいの話っすが、フランスの競争規制機関である競争評議会が、フランス最大手の携帯オペレータ・オランジュと米アップルが結んでいる5年間のiPhone独占販売契約は「違法」との判断を出したとのこと。オランジュの競合相手であるブイグ・テレコム(同部門3位)が、同契約は自由競争を妨げるものだとして提訴していた。評議会の決定を受け、ブイグ・テレコムはもちろん、第2位のSFR(ヴィヴァンディ傘下)も近日中にiPhoneを発売する動きを見せている。下手するとアマゾンやFNACなどの量販店でもiPhoneが出回る可能性がある。いずれにしてもクリスマス商戦には間に合わなかったけれど。一方、オレンジはこの決定と時を同じくしてiPhoneの価格を大幅に値下げしている。発売当初199ユーロくらいだった(と記憶している)16Gのモデルが、先週は99ユーロになっていた。競合各社が発売する前に、出来る限り在庫分を処理してしまおうということなのだろう。競合各社がいくらでiPhoneを売り出すのかは現時点ではまだ不明である。
競争評議会の決定について、オランジュ側は遺憾の意を示しており、「ドイツやイギリスやアメリカなどと異なる判断になる根拠に疑問がのこる」として決定の差し戻しを求めている。一方、競争評議会は、オランジュを筆頭に他2位のSFRと3位のブイグ・テレコムの3社による寡占状態が恒常化しているフランスの移動体通信市場は英米独とは比較できない特殊なものであり、だからこそそうした状況をさらに悪化させるような独占契約は認められない、と判断の根拠を示している。
今回の決定、多分アップルにとっては別に困ることではないのだろう。iPhoneの販売台数自体がこれによって落ちることはないだろうし、逆に増える可能性もある(ビジネスモデルは微妙に変更しないとだめなのかも)。しかし、オランジュにとっては今回の決定はかなりの損益につながるはず。独占販売が出来ることで見込んでいた増収分はチャラだものね。
とはいえ、欧州的な文脈だと、iPhoneは3G的な携帯端末の使い方を切り開くものとしての役割が期待されているので、オペレータに拘らず様々な人の手に渡るようになるのは、確かに競争強化と市場の拡大、という面ではメリットがあるんでしょうね。欧州各国のオペレータは、フランスでの決定が飛び火してくる可能性を心配しだしているそうだ。
携帯回線を使ったデータ通信が欧州でどれくらいのレベルまで普及するかを占う上でも、今後注目が必要な要素になりそうね。

2008年12月18日木曜日

「正規修理」って…

マックがやっと直ってきました。クリスマス前のショッピングでかまびすしいパリの人混みに揉まれながらばかでかいiMacを回収してきましたが、家帰って起動してびっくり。買った当時(5ー6年前?)の工場出荷時の状態に戻されているじゃないですか。
ちゃんと修理してもらった方がいいと言われて勧められるまま選んだアップルの正規修理店ですが、「正規修理」ってこういうことなのね。融通がきかないというかなんというか。OSなんか、平気で当時の仕様にグレードダウンだし、iLifeやiWorkも入ってないし、MSオフィス関係やAdobeの諸々のソフトも当然消去。ってことは、全部もう一度入れ直さなきゃならないってことじゃないの。いや、アプリ類がないだけで、肝心な原稿やらメールやらのファイルは、別フォルダーに全部残っている模様。と言うわけで、完全復旧にはまだすこし時間がかかりそうです。
そういえば、もうすぐクリスマスですが。うちの事務所ではいちおう明日忘年会です。別に招待状とか出してるわけでもないので、これ読んだひとは適当に顔を出してくれるとうれしいです。場所はいつもどおり、会社の事務所です(パリ20区、ベルビル方面)。

2008年12月15日月曜日

「シュール」な一日

今日は電車がストだった。最近、立て続けにストが起こってるのだが、やっぱり困るもんは困る。とはいえ、別に人と会う約束もないので、出社は早々に断念して家に帰った。しかしまあ、家に帰ったら帰ったで、普段使っているコンピュータがまだ修理から戻っていないため、プリンタが使えないという事実に愕然とする。今使っているネットブックのOSがLINUXなので、ドライバとか一生懸命探してみたものの、どうもないらしいのだ。やらなきゃいけない作業は英語で書かれたpdf書類を日本語に概訳するというもので、しごく単純なのだが、小さな画面でpdf書類とテキストエディターを両方表示しようとする方が無理。どうにも捗らない。
なので、早々にあきらめて、ここ数週間我が家で懸案となっている、家のトイレの交換作業を一気に完成させてしまおうと思い立つ(と言うより、奮い立つという感じね)。それが11時半位。それから一応図面(のようなもの)をつくって、一路いわゆるDIYショップまで行ったんですが、たどり着いたら、正午12時から14時まで昼休みということで閉まっていた。このお店、実は家から車で30分くらいのところにある広くて周りには似たような大型小売店以外なにもないところにあるんだけど、そういうところで2時間つぶすのは至難の技ですよ。どうせ専門書なんて置いていない本屋とか、店内でフォークリフトが稼働している文房具屋とか、入口から一番奥の壁に見える大画面テレビまでたどり着くまで5分かかるようなだだっ広い家電店とか、ヒットチャートもののCDと「名盤」しか置いていないCD屋などを冷やかし(それでも、ちょっと前から探していた「蜜蜂のささやき」のフランス版DVDをゲットしたから、まあ、収穫がなかったわけではないのだが)、マクドナルドでゆ〜っくり昼飯を食い(この他には、ケンタッキー・フライドチキンと、和食「トーキョー」などもあり)、やっと14時までやりすごし、目的の店にたどり着くと、また一悶着。
いや、僕が眼を付けていた商品はあって、それを持ってレジに行ったんだけど。僕が欲しいのは便器だけで(食事中の人ごめんなさい)、水洗用のタンクは要らないんだけど、両方一緒じゃないと売れないというのである。しかし、売り場では、別売り可と書いてあるわけで、それを説明するのに、レジと売り場の間を3回も往復しなければならなかった。こういうフランス流には慣れたつもりでいても、やっぱり疲れるわ。店員のやりとりなどから想像するに、どうもすこし前までは別売りしていたけれど、最近マイナーチェンジがあって、それ以降は別売りはしないことで話がまとまった(メーカーと店の間で、であり、店員全員の間に話が浸透した、ということではない)。しかし、その話を聞いていなかった店員が、今まで通り、別売りできるという貼紙を貼ってしまった、ということらしい。そんなこと説明されたってこっちはわけわからないので、「わけわかりません」と言うと、なんかそのへんで折れてくれて、便器だけ持って帰って良し、ということになった。あまりにも店が広く、扱っている商品の数が多いので、なにがどういう風に売られているのか、誰も把握してない感じである。まあ、欲しいもんがちゃんと手に入ったので、一応ラッキーか。
で、帰りしな、こういうのばっかりだよなーフランス、なんて思いながらボーっと運転してたんだけど、ある時点から、そういうフランス生活ももう終わるのか、なんて感じでなんとなく感慨深い感じになってきた。あるとむかつくけど、なくなると困るというか。なんか、どっちもどっちだよな。ストが続いたり、店に在庫がなかったり、店員が自分の売っているものを把握してなかったり、そういうことがあるたびに(ってほぼ日常茶飯事だけどさ)、すごく不条理な気分になるけれど、それにしたって、彼らも兵隊じゃないんだから、別にいいじゃない、という気もする。もしかしたら、オタク度の高い客に負けじとどんどん知識を吸収する日本の店員の方が、知らない間に雇用主の思うままになっていて可哀想、なんて思ったりもするし。でも、雇用者・被雇用者の利害対立という図式で全てを判断しようとしている事自体がすごくフランス的なのかもしれないし。
そんなことを考えてたら、なんか知らないけれど、レコードプレイヤーの針を替えないと、という気分になり、うちの近所周辺で唯一のDJ用品屋にいくことにした。実は子供が生まれてからここ数年、ターンテーブルの電源は入れていないのである。そもそも時代の方が、レコードもCDも駆け足で通り越していったのだ。日本のDJ用品屋というと、サンプラーやらの機材が並ぶ楽器屋の一種だが、こちらでは舞台装置屋である。照明機材やPA機材を扱っていて、本職は舞台設営であり、またディスコやライブハウスのPA設置やメンテ、そして本番でのオペレーションである。一般消費者向けの小売業務は片手間らしい。確かに、一般消費者に頼っていたのでは商売あがったりでしょう。一方で結婚式やらなんやらのパーティーや夏のフェスティバル、その他街のPA需要はかなり高いはず。日本人はパーティーで踊らないからね。そのへんで商売の形が違ってくるよね。
で、レコードプレイヤーの針が欲しい、と言うと、おばさんが、「どんな針がいいかしら。うちの製品はみんなシュール(確実)なのよ」と言う。なるほど、流石フランス人風の自信過剰な勧めかただ、とか思ったのだが、さらに話を聞くとどうもつじつまがあわない。で、考えをめぐらした結果、「シュール(より正確にカタカナ表記するとスュールになるらしい)」ではなく、カートリッジメーカーの「シュア(フランス語読みでシュール)」の話をしていたのだ。探していたのはまさにシュアの針だったので、型番を言って買った。買って帰ったのだが、いざ装着してみるとダブダブで、レコードの回転に流されてしばらくするとすぽっとカートリッジから抜けてしまう。こんなことってあるんでしょうか、と思いながら、取り合えずセロテープで留めて使ってますが、それでもひさ〜し振りに聴くレコードは良いですな。家に帰ったら16時半位でもう暗くなっていたけど、それから今(23時)まで、数年間聴かなかったレコードを聴きまくりです。こども達も喜んで踊ってたし、奥さんも懐かしい曲に顔が綻んで、やっぱり音楽ってすごいなと思うことしきり。なんで音楽って、それを聴いていたころの記憶とか、心の在り方とか、あるいは身体的な態勢とかそうしたことまで喚起できるのか、やっぱり不思議ですね。子供に歌う子守歌とか、子供が歌う子供の歌とか(まあ、これはフランス語がメインなので、僕にはあまり関係ないけれど)、回り回って自分の子供時代を彷彿とさせるしね。
僕にとっては、アナログレコードは、そのまま研究生活に継ってますな。日本に帰るときは、レコード持って帰らないとなぁ。重いけどねぇ。

というわけでまた今度。

2008年12月10日水曜日

ひととして

白紙に理想を書き並べることと、それに具体的な血肉を与えることとの狭間で、ここ数日暗鬱な気分に襲われている、と思ったら、どうやら風邪をひいてしまった様だ。節々が痛いし、だるい。てか寒すぎ。昨日は雪積もったし。

最近ブログロールに加えた昔の友達から期せずして連絡があり、ちょっと元気が出た。学部時代に彼のやっていた(僕も好きだった)バンドが再結成する。あれからもう18年だそうだ。日本に帰る楽しみが増えた。

アムネスティ・インターナショナルから来年出る今年の報告書について、ひきつづき翻訳の仕事をいただいた。さしあたってこれがフランス最後の仕事になる模様。ユマニテ。人権。ひととして。人文学とはなにを教える場所なのか。

そういえば僕も上で紹介した彼も、いまは亡き人文学部卒なのであった。僕等が学部生だったあのバブリーな時代に比べると、大学のカリキュラムづくりもずいぶん世知辛いと言うか、夢がないというか。自分でつくっていてほんとそう思う。18年前の僕のライフスタイルが人一倍バブリーだったというような内省はおいておくとして(笑)、そういう御時世なのだろう。

作ったカリキュラム案を日仏英の研究者に見てもらったのだが、日欧間で反応がまったく割れてしまった。あんまりこういうことを言って回ると出羽の守とか言われるので気が退けるが、日本の研究者(と言うか大学の先生方)の意見は、とにかく卒業生の進路に関する実績優先。普段はポピュラー音楽を学術的な研究対象として認めるべき、と論陣を張るようなひとまで、結局は《日本では無理、時機尚早、云々》という反応である。全入時代とか、定員割れとか、大学の経営状況もあるし、そこへ来て昨今の金融危機のショックウェーブを考えたら、それは腰が退けるのもわかる。研究者間のライバル意識とか序列関係とかに気をつかわなければならないこともわかる。しかしね。

こういう時代だからこそ、こういう言いかたはすごく変なのはわかっているけれど、地に足のついたユートピアのようなものを創るための勇気を、ヒューマニティーは崖っぷちぎりぎりで与えないといけないのではないだろうか。屈託なく声を出して笑う勇気とか。社会的な適応力と同時に、社会的な批判力を育む必要があるのではないだろうか。フランスでもイギリスでも実践的な職能の修得を採り入れたカリキュラムは増えていて、欧州委員会が域内の学位構成(学士、修士、博士)の統一に向けて動いているのを受けて、どんどん教育改革がすすんでいるんだけど、それでもここまで職業訓練校的にはなっていないと思う。いつからこういう、資本の求める人材だけを育てる場所になったんですかね、大学は。

いや、まちがいなくそうなんだけれども、少なくとも理想論としてはね。このへんは実際に現場で教壇に立たないと、なに言ったって説得力ないんでしょうね。俺が力んだって、学生が脱力してたら話になんないしね(自分自身脱力学生だった18年前……)。

フランス最後の仕事、と言えば、アムネスティの直前にQwartz(クワルツ)というエレクトロニック音楽のコンテストに関連した広報の仕事がある。これは是非成功させたい。ついでに、出来れば日本に持っていって京都ででも開催したいと思っている。次回の開催は4月になるので、僕は本番は見られないけれども、会場はちょっとした見本市形式になっていて、各国のそれ系レーベルやショップ、楽器メーカーなどがブースを出したり、ショーケースをしたりもできることになっている。もしこういうのに興味があって、フランスや欧州でのプレゼンスを強化したい業界関係者を御存じでしたら是非是非紹介してください。ちなみに次回コンテストの審査員は映画監督のエンキ・ビラル氏。具象音楽のピエール・シェフェールらの設立したGRMなんかとも継っている、非常に面白い&世界的に注目されている試みです(いわゆるエレクトロニカ音楽とは違うので注意)。

というわけで、また今度。

2008年12月8日月曜日

Yukinori_Dehara@Paris

いやはや、いい加減だから土壇場で苦しむのか、土壇場で苦しむのが実は好きだからいい加減なのか。たぶんどちらも正解なんだけど。やっぱり大変だったようです。だったようですって他人事みたいですが、それもそうなんです。だって、当日の会場設営やリハ、スポンサーのみなさまへの挨拶諸々でみんなが激しく動きまわっている間、わたしは壊れたマックを抱えてパリ市内を右往左往してたんすから。いや、友人によると修理代がね、店によってずいぶん違うというからさ、あちこち回って見積もってもらっているうちに、夕方になってしまったわけです。
というわけで、マックを修理に預けて会場に戻った頃にはもう、入口前に長蛇の列。おいおい、月曜日だゼ、みんな(とか、一度ブログに書いてみたかった)。俺いちおう社長なのに、会場に入ろうとしたら、関係者以外は入れません、とか言われてごっついガードマンに制止されそうになったよ。
デハラ氏と、相棒の金子ナンペイ氏は、メンペの芸風とは裏腹にすごく謙虚で人づきあいのよい方々で、これまた感動。デハラ氏の奥さんが京都の美大卒とのことで、日本に行ってからもいろいろお付き合いしていければいいなあ、と思いました。
入場者数は400人前後とのこと。デハラユキノリの名前はパリでもある程度売れていたけれど、月曜日にも拘らずここまでのご来場、ありがとうございました。知人、友人、広告主、その他本当にたくさんのみなさまに来ていただいて、ここまで多いと、挨拶して5秒後には別のひとのところに行かなきゃならなかったりして、本当に失礼しました。中には本当に前から会いた かった人もいたのですが、内容のある話ができなかった。。。改めて連絡します。
そしてメンペのパフォーマンスは、まちがいなくフランス人の眼に焼き付いたと思います。ブログとか検索してても、「トラウマになった」、とか「いまもあの SMデュオの姿が許せない」とか(どうしてSM?)。いかんせんネガティブではありますが(笑)、フランス人日本オタクの保守性があぶり出しになったというか。まあ、中途半端に忘れられるよりは、強烈に嫌われた方が良い。というか、フィギュア=オタクという構図がここまでフランスにも浸透していることに対して強力なショックウェーブを送ることができたような。おかげさまで、同時開催のデハラ氏の個展はかなりの反響を呼んでいるようです。
というわけで、デハラ氏は昨日無事に日本に発ち、僕のマックはまだ修理から戻らず(電源ユニットを交換するそうです)、北風ピューピューのパリです。こんな日は、スパイス仕込み過ぎのフォーでも食って、暖まりたいものです。

2008年11月30日日曜日

イーノでしょうか

来年から働く予定の大学に提出する書類を書き上げて、送付しました、と思ったら、その数分後にパソコンが立ち上がらなくなりました……。たぶんソフトウェア(マックなので,ファインダーが壊れたものと思われる)の問題ですが、それにしてもこのタイミングは一体なんなんでしょうか。

そうそう、明日はひさしぶりにボンズ〜ルのパーティーです。莱仏中のフィギュア作家、デハラユキノリさんを招いてのビッグパーリー。デハラさんがステージにあがりライブペインティングをします。なので、別にコンピュータの故障なんていいや(笑)。写真とってきたらアップします(ネットブックで)。

2008年11月5日水曜日

フランスも捨てたもんではない。

いや、勝ちましたね。オバマ。当然といえば当然だけども。日本でのリアクションはどうなんでしょうか。小浜市のフィーバーぶりはこっちでも一部で報道されてましたが。

閑話休題。

フランスで最近になってカルスタ(死語?)が注目を浴びているってな話を以前しましたが、ポピュラー音楽研究も苦節数十年を経てやっと学術的な研究として認められるようになってきたらしい。とは言え、研究者は分散しており、まだ中心的な研究機関が教育機関というのはないし、例によって社会学者と音楽学者の間の亀裂(というか闘争?)は深い。しかし、そうした現状も含め、フランスにおける音楽社会学(ポピュラーという形容詞はついてないです)の取り組みを総括するというシンポジウムが明日から3日間にわたって、ソルボンヌ大学音楽学部で開催されるというので参加してみます。「フランスにおける音楽社会学の25年」と題されたこのシンポジウム、主役は当然、25年以上前からフランスにおけるポピュラー音楽研究を開拓してきたアントワーヌ・エニョンその人なのですが(7日に講演会)、その直後にはサイモン・フリスの講演があり、その晩にはソルボンヌ大音楽学部でジャズを教えるロラン・キュニー教授率いるロラン・キュニー・カルテットの演奏があり、翌8日にはブルデューの方法論を使って若者の音楽文化を研究しているアンヌ=マリー・グリーンの講演がある他、なんとハワード・ベッカーが〆の講演するという超豪華ラインナップなのです。生ベッカーは今回が初めてだけど、数年前にはグルノーブル大学でピアノを弾き語りしながら社会学のコースを持っていたらしたらしいから(CD付きの講義ノートが出版されてます)、フランスとは縁が深いのだろう。講演もフランス語で行う模様です。どっから予算集めてきたんだか知らないですが、気合い入っているのだけは間違い無し。講演後午後に予定されている若手研究者の発表も面白そう(ただ、なんとなく英米の二番煎じ的なものも多いけれど)。

パリでは20日にもパリ第8大学で音楽産業に関するシンポジウムがあって、これにもイギリスから知りあいの研究者が参加します。

……なんか、急にどうしちゃったんでしょうかね、フランスPMSシーン。今まで本当にほとんど何も目新しいものはなかったのに……。

いずれにせよ、どんな具合か、また報告します。

2008年11月2日日曜日

タグと知識共有

今やってる仕事柄、SNS関連のオープンソースプログラムの展開には興味があるのだが、日本に帰るとやっぱミクシの独壇場ということなのだろうな。Open PNEとか使ってみたけど、インターフェースがほぼミクシを踏襲しているので、社内連絡網(全員日本人)にするのは結構上手くいったが(結局みんなすぐ飽きたけども)、リソースシェアの効率なんかはあまり上手に考えられていない感じがする。ワードプレスを応用したものなんかもぼちぼちあるんだけど、みんな気合い入れ過ぎて機能ごてごてのやつとか、フェイスブックのパクリみたいのが多く、だったらミクシとフェイスブック入ってりゃ済むじゃんという結論に結局至ってしまうのだ。ニッチ情報向けのSNSとかいって商品化しても、3つも4つもネットワークに入ってたらアップデートするだけで大変だし。几帳面な人はネットワークの数分用途を分けたり、アイデンティティを分けたりしているんだろうけど(大体一ネットワークに一アイデンティティなんていう考え方はどっから来たんだろう←昔は一端末(IPアドレス)に一アイデンティティだったのを考えると今の方がマシか?)。

で、僕なりの結論を言うとですね、これ以上新しいSNSなんて不要なんですよ、多分。少なくとも商業ベースの事業としては成り立たないでしょう。WEB2.0、みんな疲れてない(笑)?

とか思いながら、ブックマークの整理をしてたら、結構面白いもん見っけちゃいました。一つは、自分のブログに、RSSで引っ張ってきた他人のブログの記事を丸ごと掲載出来るブログソフト。自分のブログだと考えず、みんながバラバラに書いているブログを一つのURLにまとめて表示(タイトルリストだけでなく、記事全体が普通のブログ同様に表示される(もちろん出典元へのリンクも表示される)出来ると考えれば、新しい目的のためにわざわざ新しいブログを立ち上げる必要もなく、そのURLに特定のテーマに沿った関連情報をまとめることが出来る。もう一つは、タグ一つ一つをネットワークだと考えて、複数の参加者が共同でタグクラウドを作ってゆくプログラム。自分でタグを作っても良いし、既存のタグに書き加えても良い。書き込む内容は、ブックマークだけでもヨイし、視聴覚ファイルの場所やそれに対する批評でも良い。ほとんどツイッターに近い短信ぶり。それら全てにコメントもつけられる。トップページは巨大なタグクラウドになるんだけど、これ知識共有には使いやすいかもね。共同作業でプロジェクト回してゆく時など。いずれにせよ、これ以上新しいブログやアカウントやアイデンティティを増やさずとも、今あるものをコンパイル・エディットする事で新しい情報としての価値を与えられるよう作ってある(ように思える)のが面白い。多分これからはこういうものがまず出てきて、それから今の僕には思いつかないような新しいサービスが出てくるのだろう。

それもこれも、今度は商売っ気抜きでポピュラー音楽研究者の知識共有ネットワークを作ってみたいと思うからなんだけど。

ただ、こういうのって、よく見極めてからみんなにゴーサイン出さないと、中途半端にやって、やっぱ使い勝手悪かったとかにもなるんだよね。

2008年10月31日金曜日

本買い過ぎ

いや、久しぶりにイギリス行ってきましたが、学生時代の癖が抜けきれず、本買い過ぎ。学生時代はパリに住みながら、3カ月ごとにユーロスターでイギリスに行き、指導教官のアドバイスを受けるという移民生活をずっと続けていたわけで、この頃から、イギリス行ったらまず学校の図書館で学術書コピー。それが済んだら即古本屋。で、見つけた本は財布の許す限り絶対買うというポリシーを貫いておったわけだが(というのも、いつでも読めると思ってパリに帰ると、絶対パリでは見付からないから)、よくわからないが今回は昔の先生や友達(今やみんな教鞭取ってます)なんかと再開するケースが多かったこともあって、いつの間にかあの頃の行動パターンが戻ってきてしまったようで、帰りの飛行機で鞄の重量が7キロ増えるくらい本を買ってしまった。まあほとんど古本かつ、今まで買わずにいたり、パリと東京とロンドンを行き来する間に紛失してしまった基礎文献なんで、それほど散財という感じでもなかったし(途中からポンドがむちゃくちゃ安くなったというのも完全に追い風)。というわけで、ミドルトンの「Studying Popular Music」とか、フリスの「On Records」をゲット。ミドルトンはニューカッスル大学でPMSを教えていたのだが、現在は引退したとのこと。今回残念ながら会えなかった重要人物の一人である。その他、アラン・ムーアの「Rock: the Primary Text」やルーシー・グリーンの「How Popular Musicians Learn」など一連のアッシュゲートのシリーズ。どちらもポピュラー音楽教育法へのヒント満載で、フリスもご推薦。「一次テクストたる音楽をそのものを聴け」というのは、ニーガスの訳本でやった対談で出てきた話だが、この辺りが参照点だったんだろう。変わったとこでは、フリスのコピーライト本(確か90年代初頭に出た、三井先生の論文が載っているやつ)がアップデートされて第二版となってました。内容全部変わってて全く別の本になっているんですが、トインビーの論文もあってかなり読み応えありました(といっても、2002年刊だから、もう5年以上前か)。写真のリロイ・ジョーンズ本は時間つぶしにたまたま入った田舎の古本屋でゲット。3ポンドくらいだったか。あと、なぜかジジェクの日本語訳とスロベニア語の原典?がロンドンの古本屋で、どれも50ペンスの箱に並んでいた。どっちも買わなかったけど。

ええと、エニョンのベンヤミン批評、最後の部分を訳すの全く忘れてました。しばしお待ちを。

2008年10月17日金曜日

Back in the UK

何年ぶりかでイギリスに来ております。今までお世話になった研究者やこれからお世話になるであろう研究者のみなさまに近況報告をするのと、来年に向けたネタ集めが狙い。一昨日リバプールについて、いまはエジンバラにいます。今日はこれからサイモン・フリス教授と面会します(なのでちょっとびびり気味)。火曜日にニーガス、木曜にトインビー、金曜日にサラ・コーエン、アナヒッド・カサビアンなどとあう予定。
しかしひさしぶりにイギリスくると大変ですわ。車が左側走っているの忘れて轢かれそうになったり、電車が全部民営化されてて切符の買い方わからなかったり…。
エジンバラはむちゃくちゃきれいな町です。格調高い(クラシックな)感じ。あからさまに(元)工業地帯的なノリのリバプールやマンチェスターと比べると、町歩いてる学生にも何処か上品な感じがある。エジンバラ大学には音楽学部しかなくて、フリスは現在そこの教授なんですが、いわゆるPMSのコースはありません。まあ、イギリスはもちろん世界のポピュラー音楽研究を見渡せる唯一のひとだと思うので、そのへんの印象,感想を拾ってくるのが狙い。それにフリスは僕の博論の外部試験官あったんで、挨拶もしとかないとと。
というわけで、エジンバラ観光は後回し。おいしくスコッチウィスキーを啜れるのはこの面会終わったあとですな。

2008年10月2日木曜日

Peter Szendy

今フランスで(ポピュラー)音楽研究をするんだったら絶対に避けては通れないと思われるピーター・サンディー博士に会うことが出来ました。かな〜り悪戯っぽいひとです。かつ、エピキュリアン。2000年に上梓された『ECOUTE』という本がものすごく評判になって、各国語に訳されています。日本語訳もずいぶん前から出る出ると言われているんですが、まだ出ていない。日本の友人たちがみんな待望しているから、早く出すようにと言っといた(笑)。

で、今月9日に新著が刊行されるとのこと。「Tubes : la philosophie dans le jukebox」というタイトルで、ポピュラー音楽を扱った論考となる。フランスの俗語でヒット曲のことをチューブと言うのだが、曲がヒットすることで、同じメロディーが繰り返され、大量生産され、大衆化・通俗化するという一面と、そのメロディーが個人の頭や体に絡みつき、あくまで個人的な、独特な経験(アウラ???)として経験されるということの矛盾を巡る哲学的論考。ちなみにサブタイトルは、マルキ・ド・サドの「la philosophie dans le boudoir(閨房哲学)」のパロディ。こりゃ今すぐ予約だよな。

前言ったような、フランスの音楽教育制度の矛盾(コンセルバトワールと大学の分業制度)を実際に生きてきた人だし、自分もそういうなかで教えてきているひとだから、やっぱりいろいろ役に立つヒントを教えてもらった。サンディー博士にとって、この分業制のなかで音楽実技と音楽理論を学ぶという作業は、まさに「スキゾフレニック」な事に映るそうで、大学で音楽学を専攻するというのは、大抵、実技方面で職にあぶれた時の滑り止め的な意味なんだそう。ハタから見てると判らんよな、こんなこと。

「ポピュラー音楽研究って、面白いけど、どうして誰も音楽そのものを分析しないの?」と非常に率直なコメントを頂きました。

昔、Ircamと社会科学高等研究院(EHESS)が共同で、現代音楽の理論と実技を統合したものすごい修士コースを設けていたらしく、普通の科目のほかに、世界中から作曲家やプロデューサーが来てマスタークラスをやっていいて、それにお金がかかり過ぎて今では閉鎖されているそう。聞いたことあるようなないような感じなんですが、もしなにかご存知の方がいれば、是非教えていただきたいです。

それでは。

2008年9月29日月曜日

La Symphonie Mécanique

ラ・ヴィレットに行ったら、こんなことになってました。

詳しくはこちらで。このヴィレット公園の裏地にこんどはフィルアルモニー・ド・パリが建つのよね。建築は総アルミ製らしいです。

2008年9月26日金曜日

Know your enemy!?

ポピュラー音楽研究も含めた文化研究というものは、エスタブリッシュされた(メインストリームの・エリートの)学問領域に対して、ある種の異議申し立てをすることで、自らの学問としてのアイデンティティ(あるいは科学的説得力)を獲得して来たと思うんですが、その「敵」に当たるもんがはっきりしていないと、異議申し立てもシャドーボクシングに終始してしまうわけですよね。もちろん、異議申し立てが手段ではなく目的になってしまったら、それは本末転倒で、全く無駄な行為なわけだけれど。

というかポピュラー音楽研究に限らず、こういう対立は日常生活のあらゆる局面にあると思う。例えば、親の言う事に納得出来ない子ども。先生の教えに歯向かう生徒。上司の命令に従えない部下。新内閣を信頼出来ない国民。大抵の場合、対立の図式は、年配対若手、多数派対少数派、権力対弱者とか。こういう時に、有効な異議申し立てが出来るチャンネル(レゾー)をもっていることは、民主的な市民生活を営む上で大切な事であり、音楽を含めた文化的・創造的活動は、そうしたレゾーを効率よく作り、運用出来る手段の一つなのである(と言い切ってしまうとかなりイデオロジックか?)。

で、ポピュラー音楽研究を大学で教える、ということになると、この「敵」の姿というのがなんだか良く分からなくなる。パリでコンセルバトワールや大学関係者の話を聞いていると、どうも「実技」対「音楽学」という構図を持っている人と、「音楽学」対「社会科学」、つまり「テキスト分析」対「コンテクスト分析」という構図を持っている人がいるのが判ってきた。僕は社会科学出身だし、今まで、後者の構図でポピュラー音楽研究を把握してきたところがある。でも、もしかするとこれを本格的に問い直さなければならないのではないかと思っている。

「社会科学」の方が「ポピュラー」なるものを析出・対象化しやすく、逆に「音楽学」は「ポピュラー」階層には自然には獲得出来ない能力(要するに音楽的読解力)を前提に、その能力にとって心地よい(都合の良い?)対象を分析するので、必然的に「ポピュラー」は卑下され、「芸術音楽」だけが研究対象になる。これがなんだか、ポピュラー音楽研究レペゼン庶民、音楽学レペゼンブルジョワみたいな構図に還元されて、ポピュラー音楽研究の方になんというかメシア的な、弱者救済的な正義感を与えていたような気がするんだよね。そりゃ救えるものだったら、弱者は救いたいけれども。

というのも、その弱者が聞いている音って、どうやって分析可能なの、という疑問があるのね。コード進行も和声もメロディーも、形式的には分析出来なくても(する必要を感じなくても)、心地よいとか、キモいとか思ったり、あるいは全く無関心だったりする、今の社会での音楽のあり方、聴こえ方を分析の対象には出来ないのかしら。「作者」とか「作品」とか言うけれど、もう誰のなんていう曲かなんて、覚えてない方が多いでしょ。下手するとサビの一部しか頭に残ってない。これを後退的聴取とかいうとやっぱり問題あるけど、じゃあその聴取ってなにを聴いているの?

この辺りの疑問に細かく答えていってぐるっと一周すると、ポピュラー音楽研究コースで実技をどうやって定義して、演奏力のある学生とない学生をどうやって見分けるのか、なんかについても答えが出てくるような気がするんだが。

キース・ニーガスと最近したやり取りでは、この辺の問題が話題になった。近く久しぶりに会う予定なので、いろいろヒントを貰いたいと思ってはいる。

2008年9月23日火曜日

フランスの高等教育機関が音楽の実技と理論を教えられないわけ

色んな意味で目からうろこの一日であったよ。シテ・ド・ラ・ミュジークで催されたこれに出席してきたんだが。その直後に同じシテ・ド・ラ・ミュジークでディヴァイン・コメディーのライブがあって、「招待券余ってるわよ」とまで言われたのが、別の約束があったために断念。実は喉から手が出るほど欲しかったのだが……。

イギリスとフランスの高等教育機関(素直に大学と言い切れないのはフランスの教育制度の複雑さ故)におけるポピュラー音楽教育のあり方について、ざっとリサーチをかけているのだが、ポピュラー音楽研究コースがどんどん高等教育に取り込まれている英国に比べ、フランスでは全くと言っていいほどこれが発展していない。そのなぜか、という根本的なところが、きょうの話を聞いていてすっきりと解ってきた。別に英国の方が進歩的で、フランスの方が保守的とかいう(ステロタイプ的な)メンタリティの問題ではなく、もっと制度的な問題みたい。あるいはそういうメンタリティが教育制度として客体化してしまっているのか。

英国の場合、1992年を境に、それまで専門学校(ポリテクニック)とされていた学校が大学として認可されるようになったんだけど、それと同時に、より若者にアピールしやすく、また雇用市場で需要のある技能を教える大学のコースが激増したのね。ポピュラー音楽研究コースがその頃から増え始めたのもそのせい。逆に92年以前から大学として認可されていた学校(ってつまり大学なんだけどさ)は、90年代後半以降になると、お高くとまっていたこれまでの態度を一変して、音楽学コースにポピュラー音楽研究コースを挿し木したり並立させたりして巻き返しを図った。リバプール大のIPMが音楽学科と合併して音楽学部になり、実技と理論を上手くまとめたコースを設置したり、ロンドン大学ゴールドスミス校の音楽学部がニーガスを教授として招いてポピュラー音楽研究コースを作ったりとか、みんなこうした動きのようです。さらには、イギリスの場合、9.11同時多発テロ前後、暴動などに向かいがちな若者たちのエネルギーの矛先を職能訓練や高等教育に向けさせるのにもポピュラー音楽を含む科目がずいぶん役に立った模様で、日本で言う大学入学資格試験であるA-Levelというテストの科目に、演奏技術を問わない(要するに電気配線や録音、MIDIの知識があれば通る)「音楽技術」というのが誕生したりしている。こういうものすごくローカルなファクターが英国の高等教育機関におけるポピュラー音楽研究コースの認知に寄与していたというわけ。もちろんだからといって、研究の質が落ちているわけではないけれど。

それまで形式音楽学的なテクスト分析を忌避してきた英語圏の研究者たちが、急に「テクストを聴け」とか言い出したのも、こういう背景を理解して考えないとなのかもな。いや、確かに音楽そのものを無視して文脈だけを論じたのでは、確かにポピュラー音楽研究というのはカルスタ(死後か?)の一分野として終ってしまうというのは確か。ポピュラー音楽研究を自律した独自の領域として考えるのであれば、少なくともなぜポピュラー音楽を聴かずに論ずるのか、について論理的な答えを用意しとかなければならない。

じゃ、フランスはどうなのよと。別に自分の住んでる場所を贔屓するつもりはないけれど、フランスのポピュラー音楽研究は、英米と肩を並べるほどに進んでいる。それも、理論面で唸らせつつ、エンピリカルに説得力をもった質の高い研究が多い。ただ、それらが体系的にまとまっていないのが、なんとなく「薄い」印象に繋がっている。まあ、日本と似た感じか。優秀な研究者はあちこちに散在してるが、結局のところ体系的にポピュラー音楽を教えている学校はない。普通だったら、なんでエニョンが鉱物学校で教えてるのか理解に苦しむでしょう。カルスタに関する感受性も日本での展開に似ていて、10〜15年前までは懐疑主義一色だったのが、ここに来てやっと、落ち着いて評価する/出来る層が現れている模様。書店の文化社会学の棚が、ここ数年で三倍くらい大きくなったのがその証拠だし、なにを思ったのかディック・ヘブディッジの「サブカルチャー」の仏訳が今年になってやっと出版された(笑)。

しかし、いろんな人に話を聞いているうち、実技と理論の双方を適切なバランスで教えるポピュラー音楽研究コースがフランスにない原因は、実はもっと厄介な問題らしい事が解ってきた。要するに、フランスでは実技指導をするコンセルバトワールという教育機関と、音楽学を教える大学という教育機関が並立していて、その間の行き来がほとんどないのである。しかも音楽学(楽曲分析、作家研究のみならず、文脈研究も含む)を教える大学の数は数えるほどしかなく、実技を教える設備・能力を持ち合わせていないことが普通なのだ。更に言えば、コンセルバトワールで三年勉強して得られる学位は、大学で同じ時間勉強して得られる学位(つまり学士号)とは全く異質の、演奏の世界でしか意味のない紙ペラである。

芸術音楽の世界でさえこうした状況なのだから、ポピュラー音楽に関しては目も当てられない。まず、実技を教える高等教育機関がない(ジャズはカリキュラムに取り入れられているが、これはまた別の話である)。音楽学のカリキュラムにポピュラー音楽が取り入れられているケースはほぼ皆無である。こうした現実のなかで、どうもフランス人の心ある演奏家・理論家は、コンセルバトワールと大学の音楽学コースの両方にダブルスクーリングするらしいが、どう考えたって無茶でしょう(!)。確かにフランス風ロマン主義の伝統と言えばそうなのかもしれないが(美しい音楽を演奏していれば、いつか報われる)、コンセルバトワールは演奏しか出来ない人(ビジネスセンスとか、企画書の書き方とか、コンセルバトワールでは教えてくれないらしい)ばかりを量産しているのである。

なんだか脈絡なくなってきたが、今日お話を聞いたシテ・ド・ラ・ミュジークのコースは、まさにそういう音楽家を対象に、じゃあプロとしてどうやって自分を売り込めば良いの?っていう、(どうやら彼らにとっては今まで一度も考えた事のない)問いに対する答えをみんなで出してゆくというワークショップだったんですね。コンセルバトワール出たての音楽家や、オペラ畑で数十年のキャリアを積みながらも経済的には窮乏していて、子どもも生まれちゃったしどうしよう的な人や、レコード会社と契約寸前間で行きながらチャンスを逃した人や、キャリア志向で目ギラギラの作曲家、ずっと趣味でロックをやっているけど、40歳になるにおよんで、音楽で食えないか真剣に悩み始めている人、などなど。

しかし、芸術音楽対ポピュラー音楽という対立は取り敢えず置いといたとしても、シテ・ド・ラ・ミュジークのような組織が、こういう人たちの求めている事に敏感に反応して、こういうワークショップを設けているという事自体が、逆に言えば、フランスのすごいところなんですよ。言ってみれば奏楽堂が芸大卒業生に対して音楽産業への売り込み方講座を開くようなもん(譬えに無理有りか?)。

京都ではそういう無理な事もしてみたいです。

2008年9月17日水曜日

新しい声

大学の話が決まって以来、やっと自分でずっと前から会いたいと思っていた人たちにぽつぽつ会える理由と時間が出来、ここ数週間浮かれ気味だったのだが、これまで数年にわたりそういう知的好奇心を押し殺すことに慣れきってしまった身体の方が拒否反応を起こしてしまった。英仏の研究者たちとインタビューのアポがとれ始めたとたん、喉の奥が腫れ、声が出なくなってしまったのである。

シンクロニシティなんだろうか。う〜ん、こういうオカルティック(と書くと失礼か)な物言いをするのは苦手だが。

というわけで、一昨日医者に診てもらったのだが、ただの風邪かインフルエンザかなんかだと思っていたら、喉の奥に膿がたまった直径2-3センチの腫れ物が出来ているということで、即刻手術ということになった。ビビりましたわ。口底蜂窩織炎(phlegmon)というらしいんだが、ウィキなんかを見ても良く分からん。おそらくは日本で言う扁桃腺炎の一種だと思う。いずれにせよ、これまで病院で医者と話したり(妻の出産時除く)、手術というものを受けたことがないわたくし。戦々恐々として事におよんだんだが。すごいっす、最新の医療技術。麻酔なんてホント、局地的にスプレーするだけ。それで超細密な針のついた高性能掃除機のようなものを腫れ物に突き刺して、膿をジュルジュルと吸い出して終わりだった。3分もかからないうちに、長年の抑圧生活の膿は、全部試験管に収容されたのであった(写真参照。こういうの嫌いな人は、わざわざ拡大して見ない方が良いかと)。

ただ単に疾患部が除去されたっていう以上に心理的な圧迫感から清々しく解放された感じがすごくしてる。一時は「HAL9000の情けない版みたいな声」[出典:妻]といわれるほどに歪んだ自分の声を、今はゆっくり、しっかり取り返す作業をしてます。6〜7割がた回復しているんすが、カ行で喉奥使うときまだ少しひるむのと、ハ行、マ行、ナ行などで鼻に抜ける分が普段より多くなるので、大村崑とゴン太君を足して二で割ったような(あくまでも自分で聞いた印象だけど)、それはそれで新たな人格として(笑)やっていけそうな声になっている。そうこうしながら、会いたい人たちとのランデヴーはコンスタントにとれてるから、やっぱりなんか、僕の意識出来ない集合的な動きに絡みとられているのかなあ。たしかに、まだ患部が喉にぶら下がっていた時は、眠りにつくと無意識の急流みたいなものにすぐにのみ込まれてしまい(あらゆる方向から次々とものすごく急速な判断が必要な問題や質問(もはや具体的な内容は忘れたが)を突き出されて、決断を迫られる)、なんとかそれを躱しているうちに唾をのみ込んでしまい、それで喉が痛んで起こされるというのを一晩に数十回くらい繰り返してたのね。

会いたい人たちっていうのは、Peter SzendyとかLudovic TournèsとかFrançoise BenhamouとかSophie Maisonneuveとか、今のフランスの(ポピュラー)音楽研究の鍵になっている人物。要するに来年以降の講義のネタ集めなんだけど、それ以外にもね、いくつか企画は温めつつ。インタビューの内容も、時間の許す限りここで読めるにようにしたいと思います。

いずれにせよ声って、やっぱり自己アイデンティティとものすごく強く結びついてるよな、と考える今日この頃なわけである。

2008年9月11日木曜日

これだけ大間違いをしてあれだけ有名になる方法(2/3)

昨日、無事エニョン教授にお話を聞いてきました。ポピュラー音楽研究の「ポピュラー」を巡る英仏の温度差とか、いろいろ考えさせられました。その辺また後日ということで。さしあたり、例の訳文の第二弾です。次回で最終回(予定)。

ベンヤミンによるアートとアウラと距離、あるいはこれだけ大間違いをしでかしておいてあれだけ有名になる方法
アントワーヌ・エニョンとブルーノ・ラトゥール著

しかし、ベンヤミン論文の最大の試金石は、技術そのものだ。実際には技術に関する直接的な議論はほとんど展開されていない。むしろ、当然の前提として示されている。技術の原則的機能は、オリジナルを機械的に再生産することである---そして我々は、この全く陳腐な定義こそ、ベンヤミンが犯した第二の、そして最大の取り違いだと考える。技術を機械的再生産と短絡するこの間違った定義を、オリジナルの単一的な存在という宗教的アウラの誤った定義と組み合わせて使うとき、ベンヤミンは、複製は、オリジナルの色あせた贋作に過ぎない、という結論に向かって一直線に突き進む。

ベンヤミンは自分のテーゼを支えに、芸術史を2ページだけで大胆不敵まとめているが、彼の議論の正反対に向かう一連の議論をするのに、芸術史ほどおあつらえ向きの領域はない。技術とは機械的再生産ではない。そもそも、最初にオリジナルなるものがあり、それがあとから複製されるということ自体が、実はあり得ないのである。つまり、この仮説が既に確固たる経験論的結果として受け入れているというのでない限り、作品の増殖それ自体が、作品の貧困化と同一視されるいわれはないのだ。

例えば、古代彫像に対する近代的嗜好の形成過程について分析しているフランシス・ハスケルとニコラス・ペニーの研究に目を向けてみよう。イタリア人発掘者が関心を示すとき、これらの古びた彫像は、古代的完全主義の見本とされ、また、イタリア的アイデンティティを再構築するための道具として使われる。発掘者はこれらの彫像一つ一つの美学的価値などにはほとんど関心を寄せず、彫刻家に対してもほとんど注意しない代わり、過去と現在のあいだの連続性を主張し、そして掘り出した彫像を、美の本質に触れるための積極的な媒介物として利用するのである。アウラに対する配慮など全くなしで、かれらは彫像を修復し、移動させ、複製する。彼らとって、芸術とは、オリジナルの純粋さに捧げられた信仰などではあり得ない。それは行為の奔流に他ならないのだ。ハスケルとペニーは、精密な議論を通して、全く逆に、むしろ複製のほうが、少しずつ、オリジナルを生み出していったことを証明する。過去や他者との結びつきを保つための手段であったものが、不変で不可触な「オリジナル」に変成するのに三世紀を要した---そして、これら古代ローマ彫像がオリジナルの地位を獲得してから、今度はギリシャ彫像という更にオリジナルな芸術の脇役の座に引きずり落とされるまでに、更に一世紀が必要であった。ローマ彫像はギリシャ彫像の色あせた複製に過ぎない、というわけだ。

オセンティシティという主題そのものが、実は、発明しうる全ての技術的手段を使った不断の再生産活動の一足遅れた副産物である。ベンヤミンは、芸術のコモンセンスというイメージの名において、その技術的複製物への変質を預言するのだが、このイメージ自体が、じつは継続的な技術的再生産の賜物なのである。ラテン語で芸術を意味するアルスとは、実は技術(テクニック)のことであり、このことを考えると、アーティスト達が自分たちの技術的手段に絶えず執着することが、ベンヤミンのでっち上げた芸術と技術の対立という図式よりもずっとすんなりと理解出来る。写真家は、写真を撮り始めるや否や、それをどうやってより写実的に見せるかではなく、焼き付けのために必要な数々の技術的選択に美的な意味を与え、印画紙の質やレンズの種類、構図などを洗練させる。ベンヤミンは、写真と同じくらい、映画についても勘違いをしている。映画には、機械的な部分など一つもない。ベンヤミンは、映画俳優とは大衆に無媒介に提供される「人格」だとしているが(xxp.231)、映画が切り取る俳優の平凡な表現ほど嘘くさいものはない---キャメラは単純に、長い連鎖に補足的な媒介を加えるのであり、その連鎖を切断するものではないのだ。撮影スタジオにおける現前性は、舞台上でのそれに比べて弱いわけでも、強いわけでもなく、またこれらの「パフォーマンス」のなかには同じくらいの技術と媒介が介在している。録音技師なら誰でも、自分の技術が生み出しているのは音楽そのものであり、なにかを再生産しているのではないことを知っているだろう。技術とは、常に、芸術生産の積極的な手段だったのであり、それまで世俗を超越していた創造物の近代的な堕落をもたらすものではなかった。ベンヤミンは、自らが批判しようとしていた、ロマン主義的なものの見方そのものの虜になっているのである。

もし、再生産なるものが、積極的な再創造であり、技術が機械とは関係ないとしたら、逆に増殖は、フェティッシュの具体的な消費のなかにおけるオリジナルのオーセンティシティの消極的な溶解以外のなにものかである。むしろ、徹底的な技術的再生産の存在を、いわば必要不可欠の条件として前提としているのは、単一性やオーセンティシティの方なのだ。音楽を例に取ると、このことが明確に分かる。つまり音楽の原初には、絶え間ない反復と規格性、構想、シェーマとその変奏があり、その後で作品というものが現れる。唯一無二の作品を作り上げる近代的作曲家などというものは近代期以前には存在しなかった。1750年という比較的最近の時点でさえ、ラモーは、自らのオペラを改めて上演する機会がある度に、その機会にあわせてそれを書き直していたのである。「イポリット…」や「ダルダニュス」の安定バージョンという言葉が幾ばくかでも意味を持ち始めたのは、20世紀中葉、レコード産業の都合にあわせなければなかったからに過ぎない。それまで、音楽は演奏されるために書かれ、作曲家は、主題とハーモニーという連続的な織物に基づいて複製し、採譜し、修正し、改変していた。もともとは、愛好家が一緒に演奏するために様々な写譜を混ぜ合わせたものであった楽譜なるものを、(二〜三世代の音楽学者がやっと作り上げた)特定の作曲家により書かれたオリジナル作品の原テクストの忠実な複製物に作り替えることは、精力的ないくつもの出版社による不断の努力なしには不可能であったはずだ。そしてその後、より長期的な第二の変形が、レコード産業の主導により、バッハやシューベルトの作品の作者がバッハやシューベルトであると理解出来る耳を持った、新しい愛好家向けのマーケットを生み出すために必要であった。絵画については、自分の描いた絵の作者として自らを変身させるために、レンブラント---そして彼以降の画家全て---が多大な努力と戦略的な洞察力を駆使していたことついて、スヴェトラーナ・アルパースが証明している。

この「作者」に関する指摘は、ミッシェル・フーコーの有名な論文以来、折にふれてあちこちで論じられている。ベンヤミンは当然、こうしたいわゆるニューアートヒストリーや作者性=権威に関する社会学について、知る由もなかったが、それでもやはり、彼が自分のテーゼを証明するために書籍の事例をほとんど使わなかったことは興味深い。あるいは、それほど驚くべきことでもないのかもしれない。「印刷機が多大な変化を…【中略】…文学に強要したことは、良く知られた話」(p.218-9)だと言うのは本当だとして、その良く知られた話というのは、実はアウラの消失とは全く違う話であり、作者の誕生と読者の新たな拡大の話なのだ。より精密に言うならば、印刷機の事例は、物資的媒体としてのテクストの機械的再生産と読書の普及とのあいだでベンヤミンが陥った混乱を、あるいはとても明確に証明してくれるかもしれない。ここでの機械的再生産は読書の単一性や多様性を妨げるどころか、全く逆に、読書の単一性や多様性を可能にしているのである。わたしが、今ここで個人的に「オテロ」を読むことが出来るのは、この本が世界中で何十億万部と印刷されて「いるにも拘らず」ではない。何十万部も印刷されて「いるからこそ」わたしの個人的読書経験は可能なのだ。

2008年9月9日火曜日

これだけ大間違いをしてあれだけ有名になる方法(1/3)

またエニョンねたですんません(今週お目にかかる予定なので予習しとかないとね)。日本語では「アウラ」なんて旧仮名遣っぽい(いや、ただ正当にドイツ語読みしたのか?)呼ばれ方をしている、ベンヤミンのあの本に、エニョンが突っ込みを入れてます。オリジナルはここ。もともとはこの本に掲載された論考ですが、ウェブで公開されているので、翻訳しときます。結構言い回しが細かいので、もしかすると途中で挫折するかも(笑)。一応三回シリーズということでご了承くださいませ。

ベンヤミンによるアートとアウラと距離、あるいはこれだけ大間違いをしでかしておいてあれだけ有名になる方法
アントワーヌ・エニョンとブルーノ・ラトゥール著

昔、みんなが構造と力を信用しきっていた頃、我々はヴァルター・ベンヤミンのあの有名な論文に多大なる影響を受けたものだった。あれまで唯物論を礼賛してきたマルクス主義的、批評的伝統が技術的装置を手にしてしまったことに対する軽蔑から、なんとかして逃れなければならない。それが遥か昔の当時、求められていたことなのであった。

ベンヤミンの論文が発表されるまで、これらの技術装置は、使う人の利害によって良いものにも悪いものにもなる、中立的な、単純な道具だと考えられていた。ベンヤミン、そして彼のフランクフルトの同僚たちは、これとは別の教訓を持ち込んだ。技術は権力を作り出す。「芸術を見てみるがよい」と彼らは言った。再生産技術にちょっとした変化があっただけで、作品そのものの内容に、そしてその受け手に、信じ難い変質がもたらされたのだ。キリストは間違いを犯した。パンが増殖することで、聖体のパン自体も実体変化を受けることになってしまったのである。

このメッセージは強烈なもので、そのため、皆の目に止まらないわけにはいかなかった。

この論文を今日改めて読み直してみたが、我々のリアクションはかなり違う。先駆者たるベンヤミンに必要なオマージュを捧げ、現在ベンヤミンに対して行われている批評がどれだけベンヤミン本人に負っているかを認めた上で、我々は全く逆に、この論文があっさりと犯している間違いの多さに茫然とさせられるのである。いや、もっと正確に言えば、近代にせよ、過去にせよ、分析対象とされた現象のほとんどについて、ベンヤミンが全く理解していないことに呆れてしまうのだ。
我々は、ベンヤミンの威光の強さに対抗するために、わざと同じくらい挑発的なトーンで、敢えて指摘してみたい。これらの間違いは、ベンヤミンの功績の土台となった数々の洞察力にしてみれば全く他愛ない、力強いテクストのなかの些細な間違いとして済まして良いものではなく、彼が読者に及ぼした(そして現在も及ぼし続けている)幻術の主因なのである。ほとんどの作者が忌避するような、無知丸出しのこじつけを通して、『複製技術時代の芸術作品』には、芸術、文化、建築、科学、技術、宗教、経済、政治、そして更には戦争や精神分析に至るまで、近代的生活の全ての局面が簡素に描かれている。そして、こうした言葉が出てくるたびに、我々は、ベンヤミンが議論の対象を取り違えているような印象を禁じ得ないのである。

何度も繰り返される二分法が、この論文の議論全体の基調となる。一方に、単一性や熟考、集中、そしてアウラがあり、他方に、大衆、息抜き、没頭、そしてアウラの喪失がある。

しかし、この「アウラ」なるものの位置づけはかなり曖昧である。「アウラ」はベンヤミンのテーゼのみならず、近代及び過去に関する現行の議論の多くにとっても中心的なものなので、より厳密に点検する必要がある。ベンヤミンはアウラを持ち出すことで、議論に正当性を与えるための非常に効率の良い手段を手に入れる。ベンヤミンが現在を分析する時、アウラは、失楽園のようなものになる。これはある種の否定的参照点であり、ベンヤミンはこれを頼りに、作品の機械的再生産がもたらす新しい効果と、芸術の旧来の美に取って代わった大衆の誘惑を記述する。しかし、かれが過去を検証するときは、アウラに対するノスタルジーそのものもまた、幻想として、あるいは聖遺物として、つまり、崇拝的価値の残滓として、批判される。このように、近代芸術に対する批判そのものもまた、今や消滅してしまった選民的な芸術観に戻ろうとする、ブルジョワ的反動を意図するものとして批判されうるのだ。芸術の、規格化された近代的複製品は、現前性のオセンティシティを失った---しかし、現前性自体、古めかしい宗教的人工物に過ぎない、というのである。

我々は、芸術と宗教のあいだのこの第一のこじつけを、ベンヤミンの最初の間違いだと考える。神の隠された形象に捧げられた崇拝儀礼というものは、偶像崇拝の定義にこそ当て嵌まるもので、宗教の定義ではあり得ない。近代を批判するために宗教を取り上げておきながら、他方で宗教を批判するために近代を取り上げることは出来ないのである。にも拘らず、近代合理主義者の風情で、アウラは宗教と同一視されている---しかし、それならば、同時に芸術が神格を失ったことを非難することは出来ないはずだ。合理性という近代的道具は、宗教が目の敵にしてきたはずのフェティシズムと宗教そのものを区別しないのであり、それゆえ芸術の神格などはとっくに葬り去ってしまったのだ。逆に、近代が挑発したとされる芸術の「非神聖化」は、いかなる神聖な意味も持ち得ない。それがフェティッシュ的価値の喪失を目的としている以上、すでに失われたものに神聖な価値があるわけが無いのである---宗教は常に、神は形象ではなく、それを超えた何ものかであると言明してきた。それにも拘らず、この論文はアウラになにか実体的なものを盛り込み、そして神を偶像にすげ替えようとするものとして近代のフェティシズムを非難するのである。しかし、それならばなぜ、映画の話を持ち出すのか? どうして最新技術や大衆を持ち出すのか? 結局、近代についてはなにも言っていないのである。結局、聖書のなかの勿体ぶったお馴染みの預言者たちのように、大衆の信仰の対象である偶像やフェティッシュを覆しただけなのである!

2008年9月7日日曜日

パリ、ピカルディ

iPhone発売日に携帯を落とし、「これは神の啓示」、なんて思っていたのだが、案の定在庫切れということでどうしようかといろいろ悩みながら、結局、夏は久しぶりに携帯電話なしで乗り切ってしまった(笑)。しかし9月になって仕事が再開したとたん、これまで多めに見てくれていた同僚たちも「いい加減に携帯買ってくれ」とぶつぶつ言うようになったので、ついに諦めて買ってしまった。それも、機能は後回しで安くてすぐ手に入るモデル、ということで、iPhoneどころかソニエリの廉価モデル(帰国を半年後に控えたいま、わざわざフランスでiPhoneを買うのがばからしくなったのだ)。スクリーン小さいし、日本語の読み書きも出来ないし、マックとのシンクロもそのままでは出来ない。おまけに現物は注文時にウェブで見たのとずいぶん違う色合いで少しがっくり。なんつーんですか、こういう色。チタン? ガンメタル? シャンパンゴールド? というか、金歯っぽい(笑)。僕の持ち物全部見回してもこれまでなかったカラーバリエーションである。

が、カメラがついてるのが新鮮でしょうがない。こんなこと言うと笑われるかも知れないが、わたしの歴代携帯にはカメラがついてたことがないのですよ。そもそも欧州の携帯網は日本に比べて通信速度の高速化が遅れていて、映像機能はあっても使いこなせないという制約があったし、更に仕事柄企業に取材に行ったり、通訳に行ったりしていたので、カメラのついてない方が問題が少ないという(下手すると産業スパイ扱いだからね)理由もあった。

で、昨日から写真撮りまくりなのだが、きょうは家族で少し面白いところにハイキングに行ったので報告する。半年後には帰国だし、フランスの風景も残しておかないと。


大きな地図で見る
というわけで本題。我々の住んでいるのはパリから電車で45分ほど北上したコンピエーニュ市というところなのだが、このコンピエーニュ市があるピカルディ地方に、一ヶ所だけパリ市がある。……といっても分からないだろうが、コンピエーニュから東に30キロ程のフェルテ・ミロン村の中程を流れるウルク運河の中州部分(グーグルマップだと、ちょっと分かりづらいが)が、なんとパリ市の所有物で、行政上もパリ市なのだそうだ(といっても、住んでいる人はいないけれど)。ピカルディと言えばパリ近郊でも有数の穀倉地帯であり、ここで収穫された麦を、間違いなくパリ市内に送り届けることが昔は政策上の最優先事項の一つだったらしく、そのためわざわざここに監視所を設けたのが、そもそもの始まりらしい。当時は当然、水路で運んでいたんでしょうね。ウルク運河は、そのままサン=マルタン運河に合流して、パリに流れ込む。バスティーユ広場の地下を通ってセーヌ川まで行ける。いまは鴨や鵞鳥が群れ泳ぐ平和な場所である。もちろんいざとなればいまでも水路でパリに下れるはずだし、上っていけば、船でアムステルダムにだっていけるはずだ。

フェルテ・ミロン村は、ラシーヌが生まれた場所としても知られている。未完のまま朽ちた城塞は15世紀のものらしい。ファサードだけがドンと立ちはだかり、その裏側に、「Café des ruins(廃墟カフェ)」なるあばら屋が建っていた。最初冗談だと思ったのだが、近づくに連れ、いまも営業中であることが判明。しかも結構繁盛していた。お昼時だったこともあって車が次々と乗りつけて、日曜日のよそ行きの服を着た地元の人たちが店に入っていった。レストランもやっているようだ。今回はお弁当持参だし、食事は次回にお預けである。石畳の階段と石造りの家々が並び、一見ロマンティックな(作為的な人工物で構成されているにも拘らず、あたかもそれが自然で当たり前であるかのように「自然化」する意志=力が作用している)ところなんだが、実はそんな一筋縄でゆく村ではない。

というのも、この村にはあのギュスタヴ・エッフェルが作った小橋があるのだ。はば1メートル、長さ3メートルほどの橋で、ウルク運河左岸と例の中州(パリ市)を結んでいる。いつ、どういういきさつでエッフェルがこの橋を作ることになったのかは定かではないが、規模や工作精度(笑)からしても、エッフェル塔(1889年)やらニューヨークの自由の女神像(1886年)よりもずっと前のことだろう。千里の道も一歩からとはよく言ったもんである。ところで、ウィキペディアを見てたら、ピンク・フロイドの1977年アルバム「アニマルズ」のプロモ写真(現物見たことないのでどんなもんか不明)が、この村で撮影されたそうだ。

というわけで、携帯にカメラがついてきた、というお話であった。

2008年9月6日土曜日

世界の人権・2008年

2007年度から翻訳に関わらさせていただいている、アムネスティ・インターナショナルの人権に関する年次報告書『アムネスティー・レポート〜世界の人権 2008』が早くも刊行されました。去年までは、本部の報告書が発表されてから翻訳に取りかかっていたので、遅れ気味だったのですが、今年から、本部での編集作業と並行して作業を進めるようになったらしく、日本語版とのギャップも半年を切りました。この仕事は、翻訳家として僕が尊敬する藤田真利子さん(アムネスティ日本の理事にして、死刑廃止運動家。なのにミステリ翻訳の名手。更にチョムスキーなんかも手がけている。ちょっと前に話題になった『プリンセス・マサコ』の訳者でもあります)に声をかけていただいて続けているんですが、いろいろ勉強になっております。僕の担当は、ヨーロッパ/中央アジアなんですが、人権に関しては《優等生》であるにも拘らず、一番ページ数が多いのがこの地域と言われて結構驚いた覚えがある。ページが多いってことは、それだけ報告される人権違反事例が多いってこと(多い分、ギャラは増えたけどさ)。まあ、セルビアとかチェチェンとか旧ユーゴとか、酷い話は多いです。
音楽に直接関わるもんはあんまりないけれど、よく引用される事例として、LGBT系のパレードが規制されたり、弾圧されたりというのがある。あと、ロマの人びとの強制排除とか。
自宅に一冊とは言いませんが、良かったら図書館にでも注文してください。

2008年9月2日火曜日

エニョン、テイストについて語る

フランスの社会学者アントワーヌ・エニョンが、「テイスト」という概念について、ブルデュー理論に反駁してます。「テイスト」というのは社会階層のマーカーに還元されうるものではなく、量的調査のアンケートの質問設定からはずっと個人的な興味や関心、快楽や欲望などがどうしても抜け落ちてしまうはずだ、とか言ってます。で、その「テイスト」という言葉をもう一度見直す上で、そのそもそもの意味である「味覚」というところまで戻って理論化し直そうとしている(例えば、ワインの「テースティング」)のが面白い。

もともと、カントなどの西洋哲学では味覚と嗅覚は、視覚、聴覚、触覚に比べて下等な感覚だと看做されていたらしく(味覚、嗅覚は身体に異物が入り込んで初めて成り立つ感覚であり、感覚の対象を客体化しずらい上、客観的な真理として他人と共有し難い)、それゆえ、より身体や感情に近いものとして忌避されていたらしいんですね。宗教でも道徳でも暴飲暴食は当然ネガティブなものと捉えられていたし、多分いまもそう。

そういう、蔑まれた感覚を示す言葉が、どうしていつの間にか、「高尚な」美的判断力を示す言葉に変容していったのか? このあたりをつついてですね、ブルデューが結局扱っているのは、この後者の、本来であれば二次的な意味での「テイスト」でしかなく、前者の、本来の(多分ヘドニスティックな)「テイスト」を捉えるのを忘れているんじゃないか,って言うのが、最近のエニョンの立場取りのようです(って、このインタビューではそこまで突っ込んでませんが)。

いま、その辺の本をガーッと読んでいるので、そのうちご報告いたしますです。

2008年8月31日日曜日

ブログ再開

ボランティア運営の無料サーバーを使っていたら、管理者の不手際でデータベースが壊れ、復旧不可能ということなので、長いもんには巻かれろ的に、こちらで再開することにしました。ゆっくり更新してきますわ。

安田