2009年7月4日土曜日

ブログ休止のお知らせ

短いあいだですが、本ブログをご覧頂きありがとうございました。諸々の都合により、今日を持って本ブログを休止します。別に大した頻度で大した内容を書いていたわけではないので、だからどーなの? って感じではありますが。まあ、もはや無宿でもねーだろ、ってことで。

今後は、だんだん慣れてきた新しい仕事やその他いろいろの局面での利便性を考えて、もうチョッと使いやすいサイトを考えています。今月の半ばにリバプールに行くんで、そのレポート位のタイミングでお披露目出来るかと。積み残したピーター・サンディのインタビューも必ず続きをやりますので。

サイト自体はもう既にウェブ上に存在してはおりますが、検索エンジンをブロックしておりますので、多分検索しても見つからないと思います。

それではまたお会い出来る日まで。

DJマジミックス商品開発部一同

2009年6月5日金曜日

社会学は格闘技である

イヤーいいもんめっけ!
映画館で見たものの、DVDを買い逃したまま絶版になってしまったこの映画、気になって検索してたら、全編オンラインで公開されてました。しかも右側のリンクから全編ダウンロード可能。字幕ないですが、お試しあれ。BGMがブレイクビートなのも、要チェキ。亡くなる直前の公開だったんですが、後から考えるといろいろ伏線をはってたのかなぁなんて感慨深いです。

2009年5月27日水曜日

書評

新型インフルエンザで自宅にヒキコモリ中です。いや、ぼくが罹病したのではなく、大学が全面休校なのね(明日から授業再開)。授業が無きゃ無いでいろいろ忙しかったりという、大学教員の裏側がだんだん身に滲みてきた。うちは、家族がフランスから来るまでの仮住まいということで、寝られれば良い、という環境なんだが、こうやって必然的に家で作業ということになると、それはそれでキツいんである。本とか資料とか全部持って帰らないといけないし、なんか忘れてると、取りに戻ったりせにゃならず、なんとも捗らない。おまけに補講やらなにやら考えねばならないし。
ああ、でもおかげさまでまとめて数冊本を読むことが出来ました。丁度次の授業がおたくネタなんで、特に東浩紀さんの本をグワッと読み返した。やっぱり、日本の空気を吸いながら読むとすっと腑に落ちる感じがする(笑)。フランスだとやっぱり、マンガ・アニメは日本が「本場」という感覚の人が多いので、フラットなデータベース消費というイメージは掴みにくいんだよね。そもそもデータベースが何処にあるのか? ていう設問か? そうして考えると、アメリカやらフランスにも「おたくがいる」という言い方自体、厳密には考え直さないといけないんじゃないかなぁ。東さんは最近また一冊出たようなので、その辺も含めてそのうちまとめてみようかな、などと。前から思ってたんですが、同じデリダ周辺を引きながら、東さんが消費に注目していて、トインビーが生産に注目しているのはわりとおもしろい気がする。どっちも、データベース(トインビーの場合は「創造半径」)から材料を引っぱってくることに創造性がある、ってなことを言ってる部分ではかぶる気がする。
ゴールデンウィーク前後に必要以上の骨折りをして書いた書評が20日に発売された『ミュージックマガジン』6月号(なんでも今年は創刊40周年らしい)に掲載されました。送られて来た見本誌が学校にあるため、掲載ページは失念しましたが、わりと後ろの方のはずです。数ページある音楽関連諸の書評コーナーの一部(『マガジン』の書評欄ってこんなにボリュームあったんだ)。なんだかぼくが日本に戻る直前にヒップホップ関連の研究書がいろいろ出て、それをまとめて紹介、というような趣旨。
ぼくは、もうずいぶん長いおつきあいの木本玲一君が勁草書房から出した『グローバリゼーションと日本文化〜日本のラップ・ミュージック』の書評を担当。書評の内容は『ミュージックマガジン』の方を読んでいただくとして、今回は実はぼくの手違いで、これとは対象を同じにしつつも内容は全く別の、イアン・コンドリーの書いた「日本のヒップホップ〜文化グローバリゼーションの〈現場〉」(NTT出版)という本の書評を書いてしまっていたんですね(それで必要以上の骨折りをするはめになったのですが)。あまりにも自信たっぷりに締め切り日に入稿したため、編集の人もその原稿を前提に手直しとかのやり取りがあって(笑)。最後の最後に、「ほ、ほんが違う」ということになって大騒ぎになったという……。
というわけで、せっかく書いたのに、日の目を見なかった幻の書評(笑)を、他に発表の場もないのでここに晒しておきます。
秀逸なエスノグラフィーである。
実は評者は、著者コンドリーとほぼ同じ時期に、ほぼ同じ目的で東京とパリのヒップホップ文化を調査していた。だから本書の《現場》は馴染み深いものだし、実際コンドリーにも何度も会っている。アメリカ白人であるという自分の立ち位置を明確にした上で対象を分析するという文化人類学の手続きをきちんと踏まえた彼の議論は緻密で誠実なものだ。
少し残念だったのは、本書が日米間の二者間関係とグローバリゼーションとを混同しがちな点である。確かに、本書の記述するような日米ヒップホップ間の双方向的なアフィリエーションは存在する。同じことは、米仏の《現場》についても言えるだろう。しかし、これは結局米国を中心としたバイラテラルな関係が複数あるということに過ぎず、マルチラテラルな帰属意識には繋がらない。パリのラッパーも東京のラッパーもアメリカは参照するが、日仏ラッパーの間の相互参照はほとんど見られないのである。
あるいはグラフィティやダンス、DJイングに着目すれば、むしろ《現場》グローバリゼーションはもっと顕著だったのかもしれない。最近のグラフィティは明確にマンガの影響を受けているし、欧米で活躍する日本のDJやダンサーも少なくない。リリックの分析に拘ったことが、逆にラップ以外の要素の検証の足かせとなってしまったのが惜しい。
いずれにせよ、「最も信頼に足る日本語ラップ研究」が日本語ではなかったという事実も含め、本書が日本の読者に開いた議論を引き受け、それを相対化した上で更なる議論を進めねばなるまい。
実際にはこれに、編集者のこれもまた幻の校正が入っているのですが、その分の著作権は多分彼の方にあるので、ここでは元々の原稿を載っけました。
両方の議論を並べると、やっぱりコンドリーは文化相対主義というか、そういう文化人類学の伝統を(良い意味でも、悪い意味でも)ちゃんと引き受けている気がする(これは、彼のフィールドワークの姿勢自体から、当時も感じていたいこと)。それに対して木本君の方は、なんかもう少しはじけても良かったんじゃないかなぁ、という気がしないでもない。ぼくが博論で言ったこととは違う状況が発生している、というのはおもしろいんだけど、もう少しわかりやすい枠組で描くことも出来たんじゃないかなぁ。
ぼくの書いたものがこれ見よがしに引用されているような気がするのは、ぼくがナルシシスティックだからなのだろうね。

そうそう、そのコンドリーさんですが、来る5月の29日と30日に、北千住藝大で「ライブアクションアニメ09年:狂ったモクバ工科大学」というタイトルのパフォーマンスをするそうです(コンドリーはシナリオ担当)。なんでもMITのダンスアンサンブルによる公演ということで、かなりナーディーな感じ(笑)がしますね。頂いたプレスリリースをコピペしときます。
MIT Dance Theater Ensemble presents:
"LIVE ACTION ANIME 2009: MADNESS AT MOKUBA"

場所:東京芸術大学北千住キャンパス第七ホール
足立区千住1-25-1
JR・地下鉄等北千住駅下車徒歩5分

日時:5月29(金) 5月30日(土)@ 19:00
入場料無料
問い合わせ電話:050-5525-2751(担当:毛利嘉孝)
ちょっと明日、休校明けの大学でなにがどうなるかわかりませんが、基本的にはぼくも行くつもりでおります。興味ある方はメールでもコメントでもしてください。ちなみに6月6日には早稲田大学(詳しい場所は未定)で、『日本のヒップホップ』の出版記念パネルディスカッションがあるそうです。こちらの方は18時から20時までで、その後下北HEAVENにてパーティーとのこと。コンドリーが回すかも、というもっぱらの噂。6日のディスカッションのパネリストは
イアン・コンドリー MIT大学 (著)
田中東子 早稲田大学 (訳)
山本敦久 上智大学 (訳)
磯部涼(ヒップホップライター)
梅原大 / UMEDY(Miss Mondayのプロデューサーや元ラッパー)
上野俊哉 和光大学(監訳)
ということです。こちらの方は日程が合わずアタシャ行けませんが、関東方面の方は是非是非足を運んで見てください。

なんか必要以上に長くなった気がするので、今日はこの辺で。

2009年4月20日月曜日

一ヶ月前

私はここにいた。

それはそれで変な気分である。

2009年4月13日月曜日

文化社会学概論


京都に赴任して来て最初の講義が終わりました。とはいえこの講義は映像美学の前田茂先生とのコラボ講義なので、今回は僕は座って拝聴するのみ。美学の議論を取り入れて、記号論的な切り口から文化社会学にアプローチしようといる試み(って言うか僕が不慣れなため、無理して共同担当にしてもらった)なんですが、うまく行くかどうか。今日見てた感じだと、ちゃんと話について来てる(と見られる)学生も多く、これからが楽しみ(まあ、寝ている人もいましたけど)。共同担当で、自分の番じゃないときに教室の様子を端から眺められるっていうのは結構良い体験かもしれない。パワポとか使わずに臨機応変に授業を進められる前田先生のオールドスクールな味っていうのは、やっぱすごい。

話変わって昨日は、読売文学賞を受賞された細川周平先生の「受賞を祝う会」というのにお邪魔してきました。もったいぶったセレモニーではなく、細川先生の周辺のミュージシャン仲間で企画されたものらしく、学者はほぼ不在(柿沼先生と初めてお目にかかりましたが)。受賞作『遠きにありてつくるもの』の冒頭で、学者連がこれまでバカにして来た「情(け)」というものに、学問的に取り組もうとしたというだけあって、とても暖かい、抱擁力のある雰囲気で、こういう趣旨のパーティーであれほど心を動かされたというのも、子どもの時のお誕生会以来でした。生細川の生ピアノも、お嬢さんのバイオリンもうれしく楽しく聞きました。奥様も初めてお目にかかりました。

受賞作『遠きにありてつくるもの』は現在精読中ですが、ブラジル移民という大河ドラマみたいな背景はないにせよ、パリにいた自分の心持ちが重なって刺激を受けてます。あと、「日本製品」に対する移民文化と現地の主流文化の温度差のなかで自分の立ち位置を交渉しなきゃいけない感じとか。次の研究に向けて結構足がかりがつかめそうな感じがしてます。それよりも何よりも文体というか筆致がやっぱりすごい。そのうちもうちょっと詳しく書きます。

2009年4月10日金曜日

京都・日本・男・わたくし

ナショナリスム、ローカリスム、マシスム、エゴイスム、ナルシシスム。近所のスーパーの豆腐売り場が、ここまでシンボリックに雄弁だとは(笑)。

2009年4月4日土曜日

またしても、タイトル変えました


帰国を控えて「ばかのひとつおぼえ」にタイトルを変更してから、ほとんどなにも書くことがなく、ひとつおぼえ以上のバカである自分をなんとも愛おしく思っているわけですが、京都に来たら来たで、日本の生活がもうよくわかんなくなってる自分というのがいまして、今までの似非アカデミック路線はもう止めて、京都生活の不思議をタラタラと書いてくことにします。別にタイトル変えたからってもっと頻繁に書けるようになるわけではないです。
改めて日本に来て思ったこと(ただし、関西住まいは始めてなんで、下の印象を《日本》の表象に還元するには注意が必要。むしろほぼ《外国》に来たのと同じ状況である。言葉や身振りの問題も含めて。)。
  • 子どもが少なすぎる。相対的に年寄りが多すぎる。
  • →更に相対的に子どもたちのケア体制に不安。今は単身赴任状態だけど、家族を呼び寄せたあとどうなるんだろ。
  • テレビがつまらなくなった。
  • →20年前とほとんど同じタレント、評論家、批評家がそのまま年を取って同じことばかり言ってる気がする。
  • →ただし、今の下宿は地上波アナログしか受信できないので真相は不明。
  • ウェブを通してラジオを聞けない。
  • →ラジオを買わないとラジオは聞けないという、当たり前のことに愕然としています。
  • 情報通信サービスはこっちのが進んでいるというけれど、末端消費者のコスト負担が高く、なかなか利用できない。通信速度だけは世界一だけど、それは日本は全部電柱に電線だから、敷設コストがかからず、工事期間が短くて済むため。フランスは全部地下に埋めるからなかなか進まない。
  • 役所や事務手続きの効率はすごい。それだけ共通の信用があるんだろうけど(証明書は機械で発行されるし、大抵の手続きは印鑑でもサインでも出来ちゃう。パスポートの終わりのページに自分で住所を記入したら住所確認書類として認められるし)、逆に言えばかなり無防備。
  • 銀行の名前が訳判らん(昔《富士銀行》というところに口座持ってたんですが、今は何銀行に行ったらいいんですか?)。
  • 云々……

赴任した精華大学というところは、京都北部の谷間にあるところで、なかなかおもしろいところです。所謂美大なので、谷間に沿ってキャンパスの奥に散歩に行くと、こんな光景に出くわします。
山奥〜って感じ。日本画に出てくる動物を集めた一角があって、鶴やら鹿やら雉やらがのんびりと暮らしております。鹿舎の近くには学生たちの作った掘っ建て小屋がいくつか並んでいて、どうやらそこに画材を持ち込んで住み込み(?)で鹿の絵を描くらしいです。

2009年3月26日木曜日

無事帰国

「使用を予定しておりましたA滑走路で事故が発生した関係で、別の滑走路が空くまで上空で待機する可能性があります」(2009年フィンエア73便キャビンクルー)
という機内放送があったものの、予定到着時間よりも20分早い午前9時40分に成田に到着しました。空港内が殺気立ってはいたものの、機内での情報は《事故・内容は不明》というものだけだったので気にせずまっすぐ実家へ。実家でテレビ見てやっと事態の重大さがわかった次第。そこまでして歓迎してくれなくても良かったのですがね(笑)。

2009年3月21日土曜日

3月27日

日本帰国が秒読み段階になっておりますが、帰国前後に係るあれやこれやの喜怒哀楽はめんどくさいので割愛。先のこと考えましょ、先のこと。
というわけで、ええと、このブログを見てくださっている関東方面の方々。まあ平日にほいほいと集合出来る感じでないのは承知しておりますが、27日に北千住藝大で実施されますところの研究発表会にお邪魔する次第であります。
オレ毛利さん会ったことないし、挨拶もかねて。
お暇な方は是非ご一緒しませんか? 懇親会もあるのかな? だとしたら晩からの参加も歓迎です。27日の段階では、多分オレには移動中の連絡手段がないのでテレパシーでも送ってください(笑)。

あ、関係ないですが、フランスでやった最後の仕事である、欧州の著作権の現状とデジタル図書館計画他に関する報告書が公開されたので、お暇な方は読んでみてください。

そんでは金曜日に北千住で(ってオレの生まれた界隈じゃんか)。

2009年3月16日月曜日

名前変えました。

別に本当にどうでも良いんですが、京都行きを直前に控え、ブログの名前を変えました。今までの偉そうなものから、もっと偉そう、かつ力強い含意のあるものにしました。読んでくれている人、とても少なくてやりやすいんですが、ひとつこれからもよろしく。

2009年2月25日水曜日

マルセル・マシャン氏について

こんにちは。マジミックスです。
今回は少し趣向を変えて、私の住んでる仏コンピエーニュ市で注目を浴びている前衛アーティスト、マルセル・マシャンさんの制作現場にお邪魔してます。
DJマジミックス(以下DM)「こんにちは。ずいぶん作業がはかどっているようですが、今回はどんな作品になるのでしょうか。モンドリアンの明らかに陳腐な亜流、といった雰囲気ですが……」
マルセル・マシャン(以下MM)「なにを薮から棒に失礼な。この作品が偉大な芸術家の過去の作品に似ているとかそういうことは問題ではないのだ。君のような凡人の小さな頭には、あるいは理解出来ないかもしれんがね」
DM「……」
MM「……」
DM「あの、ほのかに臭うんですけど」
MM「うるさい。汚物が怖くてゲージュツが出来るかっ」
DM「いや、これは便器ですよ」
MM「いや、泉じゃ」
DM「い、泉……。もしかして……」
MM「そのとおり。凡人にはわからんだろうが、わしのひいおじいさまがな……」
DM「えぇっ? 同じなのは名前の方で、名字はデュシャンじゃないですよね?」
MM「そういうことを言いたいんじゃない。これまで、芸術は、その持ち前の傲慢さで、作品の機能というものを抹殺してしまったと思わんか。機能。使い道、と言っても良いかな。絵画でありつつ、天ぷらの油吸いにも使えるような作品。前衛的な彫刻でありながら、冷凍庫に1日入れておくと、3時間保冷が出来るような作品。金融危機のこんなご時世だからこそ、芸術は、機能を奪回しなければならないのだ。わしはここに宣言する。芸術に機能を奪回せよ!そして芸術の価値を、それに使われている素材そのものの価値として見つめ直すのだ。いいか、ダイヤモンドと金箔で出来た首飾りの方が、わら半紙にピカソが描いた牛なんかよりもずっと価値があるんだぞ。芸術はいつの間にかそういう当たり前のことを忘れてしまった。噴飯ものだ。」
DM「そこまで息巻かなくても……」
MM「るせー。我らの手でゲージュツに機能を取り返すのだ。わかるか。革命への第一歩だ。機能を取り返すことで、ゲージュツは世の中の役に立つようになる。いいか、高尚な詩でありながら、暗唱すると円周率が覚えられるとか、便器が詰まらない小説とか、可能性はいくらでもある」
DM「要するに、便所をつくってるってことっすよね……」
MM「いや、ゲージュツである」
DM「でも、モンドリアン風の陳腐なタイルを貼った壁に、日曜大工店で買って来た便器をつけている、という風にしか見えませんが……」
MM「少しは自分の心の目で見る訓練をしたらどうだ。私は、ダダイスムによって嬲りものにされた便器に、本来の便器の機能を取り戻してあげているのだ。ここまで崇高な芸術的行為はない。わからんか?」
DM「……」
MM「うむむ。本来の姿と役割を取り戻した芸術作品ほど美しいものはない」
DM「しかし、普通の便所とあなたの作った便所ゲージュツと、なにが違うのですか?」
MM「署名じゃよ」
DM「今までのお話全部ひっくり返りますよ」などなど……

という訳で、3日の気長な作業の末、明朝から安心して用を足せるようになりました。トイレ工事はずっと前から懸案だったのですが、今やらないとやる暇ないのでやってしまいました。

帰国に向けて、なんか良くわからないけど、いろんな分野で怒濤のラストスパート状態です。

2009年2月11日水曜日

the concept of the unique original loses its meaning

これは、フランスの国立視聴覚研究所(INA)英国放送協会(BBC)の主導する今年1月1日に始まった視聴覚オブジェクト(録音物、ラジオ番組、テレビ番組、その他)のデジタルアーカイブ化技術の研究プロジェクトですが、その活動方針の最初の段落に、ベンヤミン先生を彷彿とさせるこんなフレーズが登場してます。
Audiovisual content collections are undergoing a transformation from archives of analogue materials to very large stores of digital data. As time-based digital media and their related metadata are edited, re-used and re-formatted in a continuously evolving environment, the concept of the unique original loses its meaning and we require dynamic processes that can preserve indefinitely not only the audiovisual signal but also its evolving associations, context and rights. [source: PrestoPRIME]
要するに、機材や標準が老朽化しても永劫見続けられるデジタルデータっていうものの可能性を模索する研究ということなんですが、デジタルデータそのものではなくて、そこに刻印されるアノテーションやメタデータも永劫に一緒に保存される(で、そのメタデータの一つに権利情報も含まれる)っていう具合らしい。

なんとなくやっぱり、作品はアナログ方式のように擦り切れて最終的には忘れられるべきだとかいう考えが頭を巡る。デジタルって、永久保存が理論的に可能、ってとこがすごく人の考え方を凝り固まらせてはいないだろうか。音楽(1次元)、テレビ(2次元)くらいならいいが、自然資産(自然の造形)やら都市なんかを今度は3次元でデジタル保存する技術なんかも開発中らしい。全部デジタル化が完了して、アナログの磁気テープとか破棄したところで、セーヌ川が氾濫してサーバーが全壊したりすると、人類にとってはちょうどいいくらいじゃない?実践感覚として、忘れることも大事だよな(笑)。

まあ、研究者としてはオンラインで資料当たれるのは便利この上ないのだが……。特にINAはポピュラー音楽研究にはもってこいだよ。ポピュラー音楽ではないけど例のGRMもINA所属です。BBCのiPlayerは権利の関係で、英国外では見られないのよね。

2009年2月3日火曜日

ユーザーの理屈、作り手の理屈

どうも。引き続きヨーロッパのデジタル図書館計画について調べております。
すると……。いままで気づかなかったのですが、経済開発協力機構(OECD)が一昨年にユーザー創造コンテンツ(UCC。コーヒーではない)についての報告書を出してました。OECDのこの手の報告書がどんな風に日本の政策に影響を及ぼすのかいまいち不明ですが、この報告書では、ユーザー創造コンテンツを「特定の創造的努力を反映しつつ、プロフェッショナルな作業工程や業務の外側で創造され、インターネット上で公衆の利用可能な状態におかれたコンテンツ」という風に定義していて、それゆえ、こうした派生的作品を著作権の例外措置として認めるべきと提言してます。EUがいま進めている現行著作権制度の見直しのための意見聴取でも、たたき台にこの定義が引用されていて、派生作品への著作権行使を制限する方向が提案されているようです。英ガウワーズ報告書でもそんな内容が提案されていたような。
まあ、それだけUCCが今後のウェブの収益の中心の一つになってくるからという読みがあるんだろうけれど、既存の文化仲介業の肩身が狭くなるのは確実そう。ただ、EUの制度見直しの方向性を見る限り、ユーザー側の理屈だけが通っているという訳でもなくて、実は(これまで仲介業に抑圧されてきた)作り手側の理屈というのもだんだん耳に入るようになっているという印象。個人的にはこの先しばらく、作り手側の理屈・戦略というものに注目してみようなんて思ってます。

2009年1月26日月曜日

Tout ce que l'on fait c'est de la musique...


これすごくない?

2009年1月23日金曜日

ブラックvsニガ

自分(?)でやってる>サブヴァージョン
この動画のコメント欄とか読んでると(まあ、2ちゃんとおなじだから、本気で内容分析しちゃいけないんだけど)どうしてもやっぱり、問題は人種問題には還元できない気がするんだよね。ただそういうことで通用しちゃうオーバーライディングな強い歴史的因果があるということであって。「黒人文化」のオーセンティシティとはなにか、みたいなところで、黒人間で対立が生まれちゃっている。このビデオだとブラックとニガっていうのが対立してるけど、それに茶々を入れて憂さ晴らしする白人たち(あるいは白人のふりしてコメントしている人たち)。



うちの子をつれて近くのスーパーに買い物に行ったんですが、店内にいたアフリカ系移民家族を指して、「バラコバマみたい」とか言い出したんで、本質主義の功罪について説明しときました。

2009年1月21日水曜日

心にひびく唄

数万人規模でリミックス画像がうP中と思われます。
確かに歴史的な事件ですが、世界中が一人の人間にメシア的な期待をかけるというのはちょっと怖いと思う。文化的、象徴的な側面では人種やエスニシティーとか関わってくるけれども(ミドルネームが「フセイン」だったのにピクッとした人も多いのでは)、いま(というか近代を通じて常に)世界を苦境に陥れているのは経済であり、通貨はそういう文化的、象徴的差異を捨象した抽象的なものであるからこそ機能しているのだし。まあそんなことは僕より彼らの方がずっと分かっているとは思うけれど。
ただ、オバマ大統領が、(不当なまでに過剰な)期待に応えられなかったときの民衆の失望感の方が怖い。

リリックはこちら。Nasのフローはやっぱり秀逸。

2009年1月19日月曜日

心にひびく唄

アクースマティックとか偉そうに論じた翌日にこんなんで本当に申し訳ないです(笑)。

2009年1月18日日曜日

ピーター・サンディ・インタビュー(その2)

ポストスクリプテュム:録音技術の到来以前、我々は視覚を常に音と関連付けていました。しかし、録音技術やラジオ、蓄音機の発明以来、こうした関連付けは無くなります。これは、例えば絵画などの別のメディアにおいて起こった知覚的変化に比べると、有意な【訳注:音楽に特徴的な】違いだと思われます。

ピーター・サンディ:ピエール・シェフェールは、この知覚的変化を示すのに「アクースマティックな音楽【la musique acousmatique】」という特別な用語を使っていました。シェフェールにとって、この「アクースマティックな音楽」とは「具象音楽」でした。しかし考えれば考えるほど不思議な名前の付け方だと思いますよ。というのも、ご指摘の通り、この音楽は、音、つまり純粋に音だけを抽象化するために、視覚的な次元を文字通り剥奪されているという意味において、これ以上考えられないくらい抽象的なのですから。このような純粋な音というのは、録音技術によってのみ立ち現れるのです。ですから、純粋な音というのは、ピエール・シェフェールが逆説的に「具象」と名付けていた、録音技術とともにしか現れることのない、このような抽象化のことだったと考えられます。ところで「アクースマティック」という単語自体は非常に古いものです。シェフェールは、この単語を辞書で見つけたと言っています。その辞書によると、この単語は、ピタゴラスの弟子たちがものを聴く、その態度を示す形容詞ということです。ピタゴラスの弟子たちは、カーテンで仕切られた向こう側にいる師匠の声を聴いたのだそうです。つまり、弟子たちはピタゴラスの姿を見ずに聴いたのです。先に述べたような抽象化、つまり他のすべての(特に視覚的)文脈から抽象化された音を現出させることで録音技術が可能にしている、限りなく今日的な経験というのは、実はこれと同じことなのです。しかし同時に、こうした経験に名前を付けるのに、わざわざ古代文明に端を発する言葉を引き合いに出しているのは偶然ではありません。というのも、そこには、先に述べた《具象音楽》の遥か前に、既に視覚と聴覚の間の関係構造が、疑う余地なくあるからです。例えば、我々は「オルペウス」の物語を、モンテヴェルディによるその翻案を読み込むことが、つまりこうした立場から解釈することが出来るはずです。つまり、これは現在執筆中の論文でも扱っているのですが、モンテヴェルディのオルフェーオの物語は、盲目的な聴取という命題を中心にして展開します。さらには、フランス語の「聴取【écoute】」という言葉の第一義も、こうした経験に遡ってゆくようです。1694年のフランス学士院辞書(Dictionannire de l'Académie française)はこれを、「見られることなく聴くことの出来る場所(Lieu d'où l'on escoute sans estre veu)」と定義しています。

このように、「アクースマティックな」聴取には、録音技術の経験と比較しうる新旧の経験が含まれていることになります。問題なければここで、先ほどの最初の質問に戻ってみたいと思います。私が指摘したように、音を複製する技術は、新しい聴取の対象へのアクセスを可能にする、アクセスを認め、それと全く同時にその新しい聴取対象に介入し、我々の聴取を書き込み、あるいは書き直すという可能性を開きます。つまり、もし、ここでも、録音技術とともにこれまでになかった可能性が現出したとしても、それはしかしながら、実は、裸の聴取、つまり機器や人口補綴に依存しない聴取の中にも既に存在していた構造に、録音技術が入り込んできたかのように進展したのです。なぜなら、私の考えでは、音を聴きたいというあらゆる欲望の中には、常に聴かせたいという欲望も内在しているからです。聴き手としての私を聴取に向けて突き動かし、そして何らかの方法で私の聴いたものを録音し、保持し、記憶するように突き動かし、とどつまり、フランス語でよく言うように、ある音に対して耳を貸す【prêter l'oreille】よう私を突き動かすのは、音響的対象物が要求し、呼び起こす注意深さだけではなく、やはり、他者に対して私の聴取を差し向けることでもあるのです。このように、根本的な構造、つまり聴取の第一の状況は、一対一の対面状況(聴き手が聴取対象と向き合っている)ではなく、もうその時点から、間違いなく、聴取対象、聴き手、そして第三者という三角関係なのです。ここでいう第三者とは、現在生成しつつあり、現在送出されつつある(そして送出しながら生成している、または生成しうるために送出されつつある)聴取の向けられた相手なのです。

要するに、私は、私の聴いているものを聴かせたいと思って聴いているのです(必要ならこれを、聴取の共有と呼んでも良いでしょう。ただしそれは、この共有が純粋に他動的なやり取りではなく、聴取自体を分断するものであるという限りにおいてです)。このようにして、(他者に)私の耳を貸すために、私は耳を貸すのです。聴取は三角関係のなかを流通し、やり取りし、形を変えます。そしてその中に書き直したり、差し向けたり、送り出すための空間としての流用空間を現出させるのです。つまり、私は、私の聴いているものを、そもそも他者(とはつまり、私の中にいる他者であり、または他者としての私ということにもなります)に差し向けているのです。もっと言い切ってしまうならば、私は、聴かせたり、耳を澄まさせたりするためにしか、聴いたり、耳を澄ましたりしないのです。この意味で、すべての聴取は、それが生産に関わる限り(それがさせることに関わり、無知な観察者が時に論じるような、例の影響されやすい純粋な消極性ではない限り)、構造的な次元で既に、翻案であり、編曲であり、あるいは書き直しなのです。

2009年1月14日水曜日

私はここに住みたい。

いや、人知れず京都の住まい探しをしているだが、クレール北京都とか、ラメゾン出町柳とか、なぜこうもフランス贔屓なネーミングのアパートが多いのだろうか。中でも特にこれが気に入った。こういうところで、バルトなど読んでみるべきなのではないだろうか。僕が赴任する学校のライバル校の指定学生専用マンションだそうだ。美大生をこんな名前のところに住ませて、親御さんは心配ないのだろうか。余計なお世話か。

いや、京都行きもう目と鼻の先ですが。今後に及んで、最初に京都赴任を説得しに(わざわざパリまで)いらっしゃったある先生から、京都就職につながったのは自分としては光栄だが、僕にとっては「大変な世界」に踏み込むことになるという意味のメールを頂いた。PM関係でお世話になっている、この分野の日本の大家、S平先生からもメールを頂き、「日本の大学の官僚制度は実に重苦しい」が、「そこそこ適応して」くれればよい、というような内容の話をされた。

そんなものなのだろうか。

あ、こんな物件も、ジュイールの近くにあるようですが。

2009年1月11日日曜日

乗馬に関する研究

これが実現したら、論文とか最初の数文字を入れるだけで書けるようになるかも。というかこの報道によると、乗馬は膨大なお金をかけて座っていることと同じらしい(画面下テロップ)。

2009年1月10日土曜日

フランクフルト学派とか、ガザとか


今日はまた会計士と打ち合わせがあったりとなかなかアカデミック態勢になれなかったが、文化社会学概論のシラバス策定はなんとか出口が見えてきた感じだ。久々に社会学の本やら論文やらを引っ張りだしたり、自分か昔書いたものを読み直したり、分かったつもりになっていたことをもう一度調べ直したりという作業をやっていて感じたのは、僕たちあまりにも簡単にマンハイムとかアドルノとかホルクハイマーとかベンヤミンとかベルクソンとか言ってるけど、彼らが生きた時代の狂気みたいのを、頭でしか理解していないんじゃないの、ってこと。僕自身昔自分で書いたものとか読み直して気恥ずかしくなった。フランクフルト学派が恐れた《群衆》の帰結がこれである。
こんなことを思うのも、僕の住んでるコンピエーニュと言う町がそういう傷跡を深く残したところだからだ。いつかちゃんと調べて書こうと思っていたのだが、このところ雪と寒さでパリに行く電車が遅れがちなので、今朝、電車を待ちながら即席ケータイムーヴィーを撮ってみた。どういうことかは、画面を見てほしい。フランス北東部の町の多くで、同じような傷跡をみることが出来る。コンピエーニュ、アミアン、シャンパンで有名なランス、そしてさらに東のアルザス。皆、ナチスに侵攻されたところ。多くの場合、町は爆撃を受け、歴史的な建造物は破壊され、戦後に再建された味気ないコンクリートの建物が目立つ。装飾が極端に抽象化されたアールデコ以降の建築物がこの辺りに多いのは偶然ではない。未だに何となく、町の空気が重い気さえする。こんなに寒くて、空が青く、雪が青白く凍り付いていると、さらにそう言う雰囲気は増幅される。コンピエーニュにはユダヤ人やレジスタンス兵をドイツや中欧の強制収容所に送る中継施設があった。いまはショーア博物館になっている。
それにしても、イスラエルはいったいなにを考えているのだろう。と、会社の会計士と嘆くことしきり。彼は会計士だが、本業は作家なのだ。

2009年1月8日木曜日

みみのむし

なぜか家に帰る電車の中で、プリンスの名曲「Kiss」が耳にこびりついて離れなくなり、家について聴き直してホッとしてるところ。子どもたちもおとなしく寝たし。そう言えば昔はこの曲を二枚使いして遊んでたなぁ……。ところで解析ソフトによると、グーグルで《安田昌弘 DJ》と検索してこのブログにくる人が少なからずいるようですが、ぜひやめましょう(笑)。私の場合、DJはディスクジョッキーの略ではないです。キッチン用品のMagimix社の社長が私だと思っているポピュラー音楽研究者の先生方もいるようですが、それもとんでもない誤解です。

閑話休題。

今日はいろいろなことがあった。僕は帽子屋ではないが、ここまで一日の間にいろんな帽子をかぶり換えなければならない日も珍しいのではないか。あまり珍しいので、それにあわせた写真など用意する暇がなかったくらいである(なので、先日行った、うちの近所にあるガリア人の温泉の写真をお楽しみください)。
まず、「優しい父親」帽子をかぶって子どもを学校に送り届ける。今度はそれを「通勤するサラリーマン」帽子にかぶりかえて駅に走る。しかし電車は雪で遅延。差延。パルマコン……。ということであきらめて家に帰り、例の「文化社会学概論」のシラバス構築にいそしむ。この辺は「社会学者」帽子をかぶっている(文字通り本の山に囲まれて作業する)。なんとかシラバスのアウトラインが出来上がったんで、正午過ぎ、電車に乗ってパリに出る。このときは「なんちゃってIT専門家」帽子着用である。EUの著作権法制とデジタル図書館技術の調査を進めるためだ。どちらも興味のある分野なので、まあ面白く進めている。
しかしそこからが大変だ。今度は「経営者」帽をぎこちなく着用して、相棒の持ってきた企画の値踏みである。相棒というのは、ウィキペディアで「笑い」の項目を引くと表示される写真に雰囲気が似ているのだが、そんなことはどうでもよろしい。企画になんぼ、データベース運用になんぼ、何々サービスになんぼと、関西人の相棒にあわせて僕も「関西人」帽子を着用(これは京都では通用しないでしょうけれど)。まあ、この相棒はビジネスセンスも、腕もあるので、そつない企画でしたけど。
外で打ち合わせがあるという相棒を送り出し、再び「IT」帽をかぶり、いろいろびっくりの発見をした。いままで知らなかったのですが、イギリスでは、iTunesとかのソフトウェアを使って、自分が買ったCDを自分のコンピューターのハードディスクに読み込むのは《違法》なんですってよ。オランダでは、端末への表示速度を向上させるためにサーバーのキャッシュメモリーに一時的に画像やら文字やらのデータを、保存することは認められているけれど、保存された複製データを表示することは《違法》なんですって。つまり、これを表示すると違法らしいです。そう言う判例がある。
これだけ帽子をかぶり代えて電車で帰路についたら、そらプリンスくらい聴きたくなるわ(ってあんまり落ちてないか)。

2009年1月5日月曜日

正月というかクリスマス前から軒並み氷点下の日が続いていたんで、積もる積もる。子どもたちは今日から新学期。休みなれして寝坊して遅刻とか思ったけど、寝坊したのは父のみであった。そりゃ、朝起きて窓の外が一面真っ白だったら、一刻も早く外に出て走り回りたくなるのが人情なのだろう。
それにしてもここまで雪が積もったのは、パリ近郊では珍しいんではないだろうか。夕方までには少なくとも7センチくらい積もった気がする。うちはパリ市内ではないし、あまりに寒いので今日は会社に行かなかったので、パリの状況はわからない。結局寝坊してズル休みしたのも私だけであった(ハハハ)。
いや、別にズル休みしてた訳ではないよ。自宅でしっかり仕事してましたとも。欧州各国の図書館や視聴覚アーカイブの資料のデジタル化の進展と、検索技術の現状、そして著作権法制の動向など調べてるんだが、ここ数ヶ月で結構面白い動きがあったことがわかってきた。EUに限らず欧州周辺48カ国の国立図書館の蔵書をすべてデジタル化して、オンラインでアクセス可能にする、欧州図書館なるもの(のプロトタイプ)が昨年11月にオープンしたものの、アクセス過剰で機能せず、一時閉鎖されたままなことなども判明。再稼働して、デジタル化が進めば、すごいことになるよな。どうする国会図書館?
さらには、4月から担当する予定の「文化社会学概論」なるもののシラバスをしこしこ考えた(いま深夜零時ですが、いまも考えてますよ)。ちなみに私、社会学プロパーではないのですよ。おまけに社会学的方法論の素地は実証研究の国イギリスで体得したわけで、「対象」を捕捉してから、そこに至る「方法論」を選ぶ、というやり方がしっくり来るのです。しかし、一緒にシラバス策定にあたってくださっている研究者のアプローチは全く逆で、方法論(つまり、「ギデンズの近代社会理論」とか「デュルケイムの自殺論」とか「フーコーの権力理論」とか)の方から始めて、その後から対象の話をするんですね。縦割りのディシプリン重視のフランスではこういうやり方が多いですが、日本もそうなのかな。フランスで「ポピュラー音楽研究」というのがなかなか自律しない原因というのは、この辺にあるとアントワーヌ・エニョンが言ってましたが(フリスもこれを追認していた)、どうなんでしょう。単純に考えて、ポピュラー音楽を研究するから社会学を使うというアプローチだと、ポピュラー音楽研究は成立する(しうる)けれど、社会学を研究していて、事例としてポピュラー音楽を取り上げるというアプローチだと、どこまでいっても社会学としてしか成立しないのは確かだよな。

2009年1月3日土曜日

賀正


あけましておめでとうございます。1日深夜にも記事を投稿し(てしまっ)たので、今更なんや、という感じですが、改めて。
今年もよろしくお願いします。

2009年1月1日木曜日

ピーター・サンディ・インタビュー

あけましておめでとうございます。エニョンとおなじベンヤミンつながりってことで、今度はピーター・サンディのインタビュー記事です。ちょっと初出から時間が経つけれど、サンディの洞察力の鋭さをよく示してると思います。

*翻訳というよりも、自分のためのメモ的な意味があります。引用などはすべて原典を参照してください。

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ポストスクリプテュム:あなたは聴くこと、つまり《耳の歴史》について本を書かれています。あなたは、新しい技術が聴覚的な知覚能力をどのように変質させると考えますか?ヴァルター・ベンヤミンが技術的複製について書いたテクストは当然ご存知だと思います。聴くことについて考えたとき、こうした技術的進化はどのように理解なされますか?

ピーター・サンディ:あなたのおっしゃるのは、ベンヤミンの重要なテクストである《機械的複製の対象となった時代における芸術作品【L’œuvre d’art à l’époque de sa reproduction mécanisée】》(原書のタイトルの仏語訳の一つ。実は複数の翻訳版が存在する)ですね。音楽については、ほんの数行をのぞけば、ほとんど大したことは書いてないです。音楽について書いてある数行を念のため引用しておきましょう。ベンヤミンは、「大聖堂は、その敷地を離れ、愛好家の居間に入る。屋外やホールで演奏された聖歌隊は寝室に鳴り響く」と書いています。この短いパッサージュ(このパッサージュは、直接法現在で、音楽演奏における公共空間が、複製技術により私的空間に持ち込めるものになったことを示しています)、つまりこの二文からは、技術的複製により、聴くという行為が大きく揺さぶられたことが伺い知れます。しかし私には、そのようなこと以上に、様々な機器類、つまり私が耳の人口補綴【les prothèses de l’écoute】と呼ぶものによりもたらされた重要な変異のひとつは、聴くために我々に対して差し出されたものに、我々が介入出来るようになったということだと思います。私は、《Ecoute, une histoire de nos oreilles》の中で、聴き手が音楽について未曾有のアクセスを手に入れたということとともに、何よりもまず、新しく獲得したこのアクセスが、聴取に向けて差し出されたモノに対する介入が可能であることを示唆している、ということを示したかったのです。
究極的に手っ取り早く、粗雑な介入として考えられるのは、スイッチのオン・オフ自分で聴くことを停止したり、あるいは後から続きを聴くことが出来るということです。さらに、これ自体ものすごいことなのですが、私の介入は、このような最小限の可能性から、 聴取に向けて差し出されたものの変形や書き替えによる信じがたい洗練にまで拡張する可能性を秘めています。ポテンシオメータをひねって、音量を上げたり下げたり出来ますし、リバーブをかけたり、リバーブを取り除いたり、様々なエフェクトを重ねたり(例えばディストーションなどです)、空間内で音を左から右へ、右から左へと移動させたり出来ます。また、巻き戻したり、正方向に再生したり、逆方向に再生したり出来ます。最後に、そしてこれがもしかすると私にとっては一番重要なのですが、複製媒体に私の聴取の記録を彫り付け、書き込み、記入することが出来るのです。確かに、大抵の場合、こうした記録は事前に刻印されています。コンパクトディスクには、トラックというものがありますが、これは、私が(書籍で言うようなブックマークに引っ掛けて)トラックマーク【marque-plages】と呼ぶもの、つまりインデックスであり、それ自体、原始的な書き込みの一形態な訳です。しかし、少しずつ、傾向として、より精密で、より繊細な別の形の書き込みを可能にする機器が出てきています。このように、人口補綴、つまり、新しい聴取対象へのアクセスを可能ならしめている道具類は、同時に、これらの対象に対して、粗雑なやり方にせよ、より洗練されたやり方にせよ、私たちが介入することを可能にしているのです。
同じ進化に関するもう一つの証拠、あるいは兆候として、DJという実践があります。DJの実践を観察するならば、DJとは、本質上、自分の聴いているものに対して介入している聴き手なのだということを認めざるを得ないのではないか、と私は考えます。結局のところ、居間や寝室でレコードを聴き、そして(音量を上げ下げしたり、電源を消したり、もう一度聴き直したり、1曲目から10曲目に直接ジャンプしたりなどという単純な方法で)それを変更する私という存在と、究極的にはコンサートで演奏する聴き手であるDJの仕草との間には、本質的な差異はないのです。DJとは聴き手として、観客の前で《演奏》する聴き手です。つまり、自らの聴取を演奏し、自らの聴取に署名する聴き手なのです。DJとは、自らの聴取に自分のブランド、自分の名前、自分の署名を刻み込む聴き手ということになります。このように、音楽の複製機器がもたらした大きな揺さぶりというものは、新しい聴取対象へのアクセスを可能にしたというばかりではなく、同時にそれらを書き直すことを可能にした、ということなのです。