2009年1月26日月曜日

Tout ce que l'on fait c'est de la musique...


これすごくない?

2009年1月23日金曜日

ブラックvsニガ

自分(?)でやってる>サブヴァージョン
この動画のコメント欄とか読んでると(まあ、2ちゃんとおなじだから、本気で内容分析しちゃいけないんだけど)どうしてもやっぱり、問題は人種問題には還元できない気がするんだよね。ただそういうことで通用しちゃうオーバーライディングな強い歴史的因果があるということであって。「黒人文化」のオーセンティシティとはなにか、みたいなところで、黒人間で対立が生まれちゃっている。このビデオだとブラックとニガっていうのが対立してるけど、それに茶々を入れて憂さ晴らしする白人たち(あるいは白人のふりしてコメントしている人たち)。



うちの子をつれて近くのスーパーに買い物に行ったんですが、店内にいたアフリカ系移民家族を指して、「バラコバマみたい」とか言い出したんで、本質主義の功罪について説明しときました。

2009年1月21日水曜日

心にひびく唄

数万人規模でリミックス画像がうP中と思われます。
確かに歴史的な事件ですが、世界中が一人の人間にメシア的な期待をかけるというのはちょっと怖いと思う。文化的、象徴的な側面では人種やエスニシティーとか関わってくるけれども(ミドルネームが「フセイン」だったのにピクッとした人も多いのでは)、いま(というか近代を通じて常に)世界を苦境に陥れているのは経済であり、通貨はそういう文化的、象徴的差異を捨象した抽象的なものであるからこそ機能しているのだし。まあそんなことは僕より彼らの方がずっと分かっているとは思うけれど。
ただ、オバマ大統領が、(不当なまでに過剰な)期待に応えられなかったときの民衆の失望感の方が怖い。

リリックはこちら。Nasのフローはやっぱり秀逸。

2009年1月19日月曜日

心にひびく唄

アクースマティックとか偉そうに論じた翌日にこんなんで本当に申し訳ないです(笑)。

2009年1月18日日曜日

ピーター・サンディ・インタビュー(その2)

ポストスクリプテュム:録音技術の到来以前、我々は視覚を常に音と関連付けていました。しかし、録音技術やラジオ、蓄音機の発明以来、こうした関連付けは無くなります。これは、例えば絵画などの別のメディアにおいて起こった知覚的変化に比べると、有意な【訳注:音楽に特徴的な】違いだと思われます。

ピーター・サンディ:ピエール・シェフェールは、この知覚的変化を示すのに「アクースマティックな音楽【la musique acousmatique】」という特別な用語を使っていました。シェフェールにとって、この「アクースマティックな音楽」とは「具象音楽」でした。しかし考えれば考えるほど不思議な名前の付け方だと思いますよ。というのも、ご指摘の通り、この音楽は、音、つまり純粋に音だけを抽象化するために、視覚的な次元を文字通り剥奪されているという意味において、これ以上考えられないくらい抽象的なのですから。このような純粋な音というのは、録音技術によってのみ立ち現れるのです。ですから、純粋な音というのは、ピエール・シェフェールが逆説的に「具象」と名付けていた、録音技術とともにしか現れることのない、このような抽象化のことだったと考えられます。ところで「アクースマティック」という単語自体は非常に古いものです。シェフェールは、この単語を辞書で見つけたと言っています。その辞書によると、この単語は、ピタゴラスの弟子たちがものを聴く、その態度を示す形容詞ということです。ピタゴラスの弟子たちは、カーテンで仕切られた向こう側にいる師匠の声を聴いたのだそうです。つまり、弟子たちはピタゴラスの姿を見ずに聴いたのです。先に述べたような抽象化、つまり他のすべての(特に視覚的)文脈から抽象化された音を現出させることで録音技術が可能にしている、限りなく今日的な経験というのは、実はこれと同じことなのです。しかし同時に、こうした経験に名前を付けるのに、わざわざ古代文明に端を発する言葉を引き合いに出しているのは偶然ではありません。というのも、そこには、先に述べた《具象音楽》の遥か前に、既に視覚と聴覚の間の関係構造が、疑う余地なくあるからです。例えば、我々は「オルペウス」の物語を、モンテヴェルディによるその翻案を読み込むことが、つまりこうした立場から解釈することが出来るはずです。つまり、これは現在執筆中の論文でも扱っているのですが、モンテヴェルディのオルフェーオの物語は、盲目的な聴取という命題を中心にして展開します。さらには、フランス語の「聴取【écoute】」という言葉の第一義も、こうした経験に遡ってゆくようです。1694年のフランス学士院辞書(Dictionannire de l'Académie française)はこれを、「見られることなく聴くことの出来る場所(Lieu d'où l'on escoute sans estre veu)」と定義しています。

このように、「アクースマティックな」聴取には、録音技術の経験と比較しうる新旧の経験が含まれていることになります。問題なければここで、先ほどの最初の質問に戻ってみたいと思います。私が指摘したように、音を複製する技術は、新しい聴取の対象へのアクセスを可能にする、アクセスを認め、それと全く同時にその新しい聴取対象に介入し、我々の聴取を書き込み、あるいは書き直すという可能性を開きます。つまり、もし、ここでも、録音技術とともにこれまでになかった可能性が現出したとしても、それはしかしながら、実は、裸の聴取、つまり機器や人口補綴に依存しない聴取の中にも既に存在していた構造に、録音技術が入り込んできたかのように進展したのです。なぜなら、私の考えでは、音を聴きたいというあらゆる欲望の中には、常に聴かせたいという欲望も内在しているからです。聴き手としての私を聴取に向けて突き動かし、そして何らかの方法で私の聴いたものを録音し、保持し、記憶するように突き動かし、とどつまり、フランス語でよく言うように、ある音に対して耳を貸す【prêter l'oreille】よう私を突き動かすのは、音響的対象物が要求し、呼び起こす注意深さだけではなく、やはり、他者に対して私の聴取を差し向けることでもあるのです。このように、根本的な構造、つまり聴取の第一の状況は、一対一の対面状況(聴き手が聴取対象と向き合っている)ではなく、もうその時点から、間違いなく、聴取対象、聴き手、そして第三者という三角関係なのです。ここでいう第三者とは、現在生成しつつあり、現在送出されつつある(そして送出しながら生成している、または生成しうるために送出されつつある)聴取の向けられた相手なのです。

要するに、私は、私の聴いているものを聴かせたいと思って聴いているのです(必要ならこれを、聴取の共有と呼んでも良いでしょう。ただしそれは、この共有が純粋に他動的なやり取りではなく、聴取自体を分断するものであるという限りにおいてです)。このようにして、(他者に)私の耳を貸すために、私は耳を貸すのです。聴取は三角関係のなかを流通し、やり取りし、形を変えます。そしてその中に書き直したり、差し向けたり、送り出すための空間としての流用空間を現出させるのです。つまり、私は、私の聴いているものを、そもそも他者(とはつまり、私の中にいる他者であり、または他者としての私ということにもなります)に差し向けているのです。もっと言い切ってしまうならば、私は、聴かせたり、耳を澄まさせたりするためにしか、聴いたり、耳を澄ましたりしないのです。この意味で、すべての聴取は、それが生産に関わる限り(それがさせることに関わり、無知な観察者が時に論じるような、例の影響されやすい純粋な消極性ではない限り)、構造的な次元で既に、翻案であり、編曲であり、あるいは書き直しなのです。

2009年1月14日水曜日

私はここに住みたい。

いや、人知れず京都の住まい探しをしているだが、クレール北京都とか、ラメゾン出町柳とか、なぜこうもフランス贔屓なネーミングのアパートが多いのだろうか。中でも特にこれが気に入った。こういうところで、バルトなど読んでみるべきなのではないだろうか。僕が赴任する学校のライバル校の指定学生専用マンションだそうだ。美大生をこんな名前のところに住ませて、親御さんは心配ないのだろうか。余計なお世話か。

いや、京都行きもう目と鼻の先ですが。今後に及んで、最初に京都赴任を説得しに(わざわざパリまで)いらっしゃったある先生から、京都就職につながったのは自分としては光栄だが、僕にとっては「大変な世界」に踏み込むことになるという意味のメールを頂いた。PM関係でお世話になっている、この分野の日本の大家、S平先生からもメールを頂き、「日本の大学の官僚制度は実に重苦しい」が、「そこそこ適応して」くれればよい、というような内容の話をされた。

そんなものなのだろうか。

あ、こんな物件も、ジュイールの近くにあるようですが。

2009年1月11日日曜日

乗馬に関する研究

これが実現したら、論文とか最初の数文字を入れるだけで書けるようになるかも。というかこの報道によると、乗馬は膨大なお金をかけて座っていることと同じらしい(画面下テロップ)。

2009年1月10日土曜日

フランクフルト学派とか、ガザとか


今日はまた会計士と打ち合わせがあったりとなかなかアカデミック態勢になれなかったが、文化社会学概論のシラバス策定はなんとか出口が見えてきた感じだ。久々に社会学の本やら論文やらを引っ張りだしたり、自分か昔書いたものを読み直したり、分かったつもりになっていたことをもう一度調べ直したりという作業をやっていて感じたのは、僕たちあまりにも簡単にマンハイムとかアドルノとかホルクハイマーとかベンヤミンとかベルクソンとか言ってるけど、彼らが生きた時代の狂気みたいのを、頭でしか理解していないんじゃないの、ってこと。僕自身昔自分で書いたものとか読み直して気恥ずかしくなった。フランクフルト学派が恐れた《群衆》の帰結がこれである。
こんなことを思うのも、僕の住んでるコンピエーニュと言う町がそういう傷跡を深く残したところだからだ。いつかちゃんと調べて書こうと思っていたのだが、このところ雪と寒さでパリに行く電車が遅れがちなので、今朝、電車を待ちながら即席ケータイムーヴィーを撮ってみた。どういうことかは、画面を見てほしい。フランス北東部の町の多くで、同じような傷跡をみることが出来る。コンピエーニュ、アミアン、シャンパンで有名なランス、そしてさらに東のアルザス。皆、ナチスに侵攻されたところ。多くの場合、町は爆撃を受け、歴史的な建造物は破壊され、戦後に再建された味気ないコンクリートの建物が目立つ。装飾が極端に抽象化されたアールデコ以降の建築物がこの辺りに多いのは偶然ではない。未だに何となく、町の空気が重い気さえする。こんなに寒くて、空が青く、雪が青白く凍り付いていると、さらにそう言う雰囲気は増幅される。コンピエーニュにはユダヤ人やレジスタンス兵をドイツや中欧の強制収容所に送る中継施設があった。いまはショーア博物館になっている。
それにしても、イスラエルはいったいなにを考えているのだろう。と、会社の会計士と嘆くことしきり。彼は会計士だが、本業は作家なのだ。

2009年1月8日木曜日

みみのむし

なぜか家に帰る電車の中で、プリンスの名曲「Kiss」が耳にこびりついて離れなくなり、家について聴き直してホッとしてるところ。子どもたちもおとなしく寝たし。そう言えば昔はこの曲を二枚使いして遊んでたなぁ……。ところで解析ソフトによると、グーグルで《安田昌弘 DJ》と検索してこのブログにくる人が少なからずいるようですが、ぜひやめましょう(笑)。私の場合、DJはディスクジョッキーの略ではないです。キッチン用品のMagimix社の社長が私だと思っているポピュラー音楽研究者の先生方もいるようですが、それもとんでもない誤解です。

閑話休題。

今日はいろいろなことがあった。僕は帽子屋ではないが、ここまで一日の間にいろんな帽子をかぶり換えなければならない日も珍しいのではないか。あまり珍しいので、それにあわせた写真など用意する暇がなかったくらいである(なので、先日行った、うちの近所にあるガリア人の温泉の写真をお楽しみください)。
まず、「優しい父親」帽子をかぶって子どもを学校に送り届ける。今度はそれを「通勤するサラリーマン」帽子にかぶりかえて駅に走る。しかし電車は雪で遅延。差延。パルマコン……。ということであきらめて家に帰り、例の「文化社会学概論」のシラバス構築にいそしむ。この辺は「社会学者」帽子をかぶっている(文字通り本の山に囲まれて作業する)。なんとかシラバスのアウトラインが出来上がったんで、正午過ぎ、電車に乗ってパリに出る。このときは「なんちゃってIT専門家」帽子着用である。EUの著作権法制とデジタル図書館技術の調査を進めるためだ。どちらも興味のある分野なので、まあ面白く進めている。
しかしそこからが大変だ。今度は「経営者」帽をぎこちなく着用して、相棒の持ってきた企画の値踏みである。相棒というのは、ウィキペディアで「笑い」の項目を引くと表示される写真に雰囲気が似ているのだが、そんなことはどうでもよろしい。企画になんぼ、データベース運用になんぼ、何々サービスになんぼと、関西人の相棒にあわせて僕も「関西人」帽子を着用(これは京都では通用しないでしょうけれど)。まあ、この相棒はビジネスセンスも、腕もあるので、そつない企画でしたけど。
外で打ち合わせがあるという相棒を送り出し、再び「IT」帽をかぶり、いろいろびっくりの発見をした。いままで知らなかったのですが、イギリスでは、iTunesとかのソフトウェアを使って、自分が買ったCDを自分のコンピューターのハードディスクに読み込むのは《違法》なんですってよ。オランダでは、端末への表示速度を向上させるためにサーバーのキャッシュメモリーに一時的に画像やら文字やらのデータを、保存することは認められているけれど、保存された複製データを表示することは《違法》なんですって。つまり、これを表示すると違法らしいです。そう言う判例がある。
これだけ帽子をかぶり代えて電車で帰路についたら、そらプリンスくらい聴きたくなるわ(ってあんまり落ちてないか)。

2009年1月5日月曜日

正月というかクリスマス前から軒並み氷点下の日が続いていたんで、積もる積もる。子どもたちは今日から新学期。休みなれして寝坊して遅刻とか思ったけど、寝坊したのは父のみであった。そりゃ、朝起きて窓の外が一面真っ白だったら、一刻も早く外に出て走り回りたくなるのが人情なのだろう。
それにしてもここまで雪が積もったのは、パリ近郊では珍しいんではないだろうか。夕方までには少なくとも7センチくらい積もった気がする。うちはパリ市内ではないし、あまりに寒いので今日は会社に行かなかったので、パリの状況はわからない。結局寝坊してズル休みしたのも私だけであった(ハハハ)。
いや、別にズル休みしてた訳ではないよ。自宅でしっかり仕事してましたとも。欧州各国の図書館や視聴覚アーカイブの資料のデジタル化の進展と、検索技術の現状、そして著作権法制の動向など調べてるんだが、ここ数ヶ月で結構面白い動きがあったことがわかってきた。EUに限らず欧州周辺48カ国の国立図書館の蔵書をすべてデジタル化して、オンラインでアクセス可能にする、欧州図書館なるもの(のプロトタイプ)が昨年11月にオープンしたものの、アクセス過剰で機能せず、一時閉鎖されたままなことなども判明。再稼働して、デジタル化が進めば、すごいことになるよな。どうする国会図書館?
さらには、4月から担当する予定の「文化社会学概論」なるもののシラバスをしこしこ考えた(いま深夜零時ですが、いまも考えてますよ)。ちなみに私、社会学プロパーではないのですよ。おまけに社会学的方法論の素地は実証研究の国イギリスで体得したわけで、「対象」を捕捉してから、そこに至る「方法論」を選ぶ、というやり方がしっくり来るのです。しかし、一緒にシラバス策定にあたってくださっている研究者のアプローチは全く逆で、方法論(つまり、「ギデンズの近代社会理論」とか「デュルケイムの自殺論」とか「フーコーの権力理論」とか)の方から始めて、その後から対象の話をするんですね。縦割りのディシプリン重視のフランスではこういうやり方が多いですが、日本もそうなのかな。フランスで「ポピュラー音楽研究」というのがなかなか自律しない原因というのは、この辺にあるとアントワーヌ・エニョンが言ってましたが(フリスもこれを追認していた)、どうなんでしょう。単純に考えて、ポピュラー音楽を研究するから社会学を使うというアプローチだと、ポピュラー音楽研究は成立する(しうる)けれど、社会学を研究していて、事例としてポピュラー音楽を取り上げるというアプローチだと、どこまでいっても社会学としてしか成立しないのは確かだよな。

2009年1月3日土曜日

賀正


あけましておめでとうございます。1日深夜にも記事を投稿し(てしまっ)たので、今更なんや、という感じですが、改めて。
今年もよろしくお願いします。

2009年1月1日木曜日

ピーター・サンディ・インタビュー

あけましておめでとうございます。エニョンとおなじベンヤミンつながりってことで、今度はピーター・サンディのインタビュー記事です。ちょっと初出から時間が経つけれど、サンディの洞察力の鋭さをよく示してると思います。

*翻訳というよりも、自分のためのメモ的な意味があります。引用などはすべて原典を参照してください。

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ポストスクリプテュム:あなたは聴くこと、つまり《耳の歴史》について本を書かれています。あなたは、新しい技術が聴覚的な知覚能力をどのように変質させると考えますか?ヴァルター・ベンヤミンが技術的複製について書いたテクストは当然ご存知だと思います。聴くことについて考えたとき、こうした技術的進化はどのように理解なされますか?

ピーター・サンディ:あなたのおっしゃるのは、ベンヤミンの重要なテクストである《機械的複製の対象となった時代における芸術作品【L’œuvre d’art à l’époque de sa reproduction mécanisée】》(原書のタイトルの仏語訳の一つ。実は複数の翻訳版が存在する)ですね。音楽については、ほんの数行をのぞけば、ほとんど大したことは書いてないです。音楽について書いてある数行を念のため引用しておきましょう。ベンヤミンは、「大聖堂は、その敷地を離れ、愛好家の居間に入る。屋外やホールで演奏された聖歌隊は寝室に鳴り響く」と書いています。この短いパッサージュ(このパッサージュは、直接法現在で、音楽演奏における公共空間が、複製技術により私的空間に持ち込めるものになったことを示しています)、つまりこの二文からは、技術的複製により、聴くという行為が大きく揺さぶられたことが伺い知れます。しかし私には、そのようなこと以上に、様々な機器類、つまり私が耳の人口補綴【les prothèses de l’écoute】と呼ぶものによりもたらされた重要な変異のひとつは、聴くために我々に対して差し出されたものに、我々が介入出来るようになったということだと思います。私は、《Ecoute, une histoire de nos oreilles》の中で、聴き手が音楽について未曾有のアクセスを手に入れたということとともに、何よりもまず、新しく獲得したこのアクセスが、聴取に向けて差し出されたモノに対する介入が可能であることを示唆している、ということを示したかったのです。
究極的に手っ取り早く、粗雑な介入として考えられるのは、スイッチのオン・オフ自分で聴くことを停止したり、あるいは後から続きを聴くことが出来るということです。さらに、これ自体ものすごいことなのですが、私の介入は、このような最小限の可能性から、 聴取に向けて差し出されたものの変形や書き替えによる信じがたい洗練にまで拡張する可能性を秘めています。ポテンシオメータをひねって、音量を上げたり下げたり出来ますし、リバーブをかけたり、リバーブを取り除いたり、様々なエフェクトを重ねたり(例えばディストーションなどです)、空間内で音を左から右へ、右から左へと移動させたり出来ます。また、巻き戻したり、正方向に再生したり、逆方向に再生したり出来ます。最後に、そしてこれがもしかすると私にとっては一番重要なのですが、複製媒体に私の聴取の記録を彫り付け、書き込み、記入することが出来るのです。確かに、大抵の場合、こうした記録は事前に刻印されています。コンパクトディスクには、トラックというものがありますが、これは、私が(書籍で言うようなブックマークに引っ掛けて)トラックマーク【marque-plages】と呼ぶもの、つまりインデックスであり、それ自体、原始的な書き込みの一形態な訳です。しかし、少しずつ、傾向として、より精密で、より繊細な別の形の書き込みを可能にする機器が出てきています。このように、人口補綴、つまり、新しい聴取対象へのアクセスを可能ならしめている道具類は、同時に、これらの対象に対して、粗雑なやり方にせよ、より洗練されたやり方にせよ、私たちが介入することを可能にしているのです。
同じ進化に関するもう一つの証拠、あるいは兆候として、DJという実践があります。DJの実践を観察するならば、DJとは、本質上、自分の聴いているものに対して介入している聴き手なのだということを認めざるを得ないのではないか、と私は考えます。結局のところ、居間や寝室でレコードを聴き、そして(音量を上げ下げしたり、電源を消したり、もう一度聴き直したり、1曲目から10曲目に直接ジャンプしたりなどという単純な方法で)それを変更する私という存在と、究極的にはコンサートで演奏する聴き手であるDJの仕草との間には、本質的な差異はないのです。DJとは聴き手として、観客の前で《演奏》する聴き手です。つまり、自らの聴取を演奏し、自らの聴取に署名する聴き手なのです。DJとは、自らの聴取に自分のブランド、自分の名前、自分の署名を刻み込む聴き手ということになります。このように、音楽の複製機器がもたらした大きな揺さぶりというものは、新しい聴取対象へのアクセスを可能にしたというばかりではなく、同時にそれらを書き直すことを可能にした、ということなのです。