2008年12月10日水曜日

ひととして

白紙に理想を書き並べることと、それに具体的な血肉を与えることとの狭間で、ここ数日暗鬱な気分に襲われている、と思ったら、どうやら風邪をひいてしまった様だ。節々が痛いし、だるい。てか寒すぎ。昨日は雪積もったし。

最近ブログロールに加えた昔の友達から期せずして連絡があり、ちょっと元気が出た。学部時代に彼のやっていた(僕も好きだった)バンドが再結成する。あれからもう18年だそうだ。日本に帰る楽しみが増えた。

アムネスティ・インターナショナルから来年出る今年の報告書について、ひきつづき翻訳の仕事をいただいた。さしあたってこれがフランス最後の仕事になる模様。ユマニテ。人権。ひととして。人文学とはなにを教える場所なのか。

そういえば僕も上で紹介した彼も、いまは亡き人文学部卒なのであった。僕等が学部生だったあのバブリーな時代に比べると、大学のカリキュラムづくりもずいぶん世知辛いと言うか、夢がないというか。自分でつくっていてほんとそう思う。18年前の僕のライフスタイルが人一倍バブリーだったというような内省はおいておくとして(笑)、そういう御時世なのだろう。

作ったカリキュラム案を日仏英の研究者に見てもらったのだが、日欧間で反応がまったく割れてしまった。あんまりこういうことを言って回ると出羽の守とか言われるので気が退けるが、日本の研究者(と言うか大学の先生方)の意見は、とにかく卒業生の進路に関する実績優先。普段はポピュラー音楽を学術的な研究対象として認めるべき、と論陣を張るようなひとまで、結局は《日本では無理、時機尚早、云々》という反応である。全入時代とか、定員割れとか、大学の経営状況もあるし、そこへ来て昨今の金融危機のショックウェーブを考えたら、それは腰が退けるのもわかる。研究者間のライバル意識とか序列関係とかに気をつかわなければならないこともわかる。しかしね。

こういう時代だからこそ、こういう言いかたはすごく変なのはわかっているけれど、地に足のついたユートピアのようなものを創るための勇気を、ヒューマニティーは崖っぷちぎりぎりで与えないといけないのではないだろうか。屈託なく声を出して笑う勇気とか。社会的な適応力と同時に、社会的な批判力を育む必要があるのではないだろうか。フランスでもイギリスでも実践的な職能の修得を採り入れたカリキュラムは増えていて、欧州委員会が域内の学位構成(学士、修士、博士)の統一に向けて動いているのを受けて、どんどん教育改革がすすんでいるんだけど、それでもここまで職業訓練校的にはなっていないと思う。いつからこういう、資本の求める人材だけを育てる場所になったんですかね、大学は。

いや、まちがいなくそうなんだけれども、少なくとも理想論としてはね。このへんは実際に現場で教壇に立たないと、なに言ったって説得力ないんでしょうね。俺が力んだって、学生が脱力してたら話になんないしね(自分自身脱力学生だった18年前……)。

フランス最後の仕事、と言えば、アムネスティの直前にQwartz(クワルツ)というエレクトロニック音楽のコンテストに関連した広報の仕事がある。これは是非成功させたい。ついでに、出来れば日本に持っていって京都ででも開催したいと思っている。次回の開催は4月になるので、僕は本番は見られないけれども、会場はちょっとした見本市形式になっていて、各国のそれ系レーベルやショップ、楽器メーカーなどがブースを出したり、ショーケースをしたりもできることになっている。もしこういうのに興味があって、フランスや欧州でのプレゼンスを強化したい業界関係者を御存じでしたら是非是非紹介してください。ちなみに次回コンテストの審査員は映画監督のエンキ・ビラル氏。具象音楽のピエール・シェフェールらの設立したGRMなんかとも継っている、非常に面白い&世界的に注目されている試みです(いわゆるエレクトロニカ音楽とは違うので注意)。

というわけで、また今度。

1 件のコメント:

DJmagimix さんのコメント...

内定取り消し横行ですか(http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/081211/sty0812112233006-n1.htm)
なるほど長いものには巻かれたほうが良いのかも。てかオレの内定自体危ういか(笑)。