2008年9月11日木曜日

これだけ大間違いをしてあれだけ有名になる方法(2/3)

昨日、無事エニョン教授にお話を聞いてきました。ポピュラー音楽研究の「ポピュラー」を巡る英仏の温度差とか、いろいろ考えさせられました。その辺また後日ということで。さしあたり、例の訳文の第二弾です。次回で最終回(予定)。

ベンヤミンによるアートとアウラと距離、あるいはこれだけ大間違いをしでかしておいてあれだけ有名になる方法
アントワーヌ・エニョンとブルーノ・ラトゥール著

しかし、ベンヤミン論文の最大の試金石は、技術そのものだ。実際には技術に関する直接的な議論はほとんど展開されていない。むしろ、当然の前提として示されている。技術の原則的機能は、オリジナルを機械的に再生産することである---そして我々は、この全く陳腐な定義こそ、ベンヤミンが犯した第二の、そして最大の取り違いだと考える。技術を機械的再生産と短絡するこの間違った定義を、オリジナルの単一的な存在という宗教的アウラの誤った定義と組み合わせて使うとき、ベンヤミンは、複製は、オリジナルの色あせた贋作に過ぎない、という結論に向かって一直線に突き進む。

ベンヤミンは自分のテーゼを支えに、芸術史を2ページだけで大胆不敵まとめているが、彼の議論の正反対に向かう一連の議論をするのに、芸術史ほどおあつらえ向きの領域はない。技術とは機械的再生産ではない。そもそも、最初にオリジナルなるものがあり、それがあとから複製されるということ自体が、実はあり得ないのである。つまり、この仮説が既に確固たる経験論的結果として受け入れているというのでない限り、作品の増殖それ自体が、作品の貧困化と同一視されるいわれはないのだ。

例えば、古代彫像に対する近代的嗜好の形成過程について分析しているフランシス・ハスケルとニコラス・ペニーの研究に目を向けてみよう。イタリア人発掘者が関心を示すとき、これらの古びた彫像は、古代的完全主義の見本とされ、また、イタリア的アイデンティティを再構築するための道具として使われる。発掘者はこれらの彫像一つ一つの美学的価値などにはほとんど関心を寄せず、彫刻家に対してもほとんど注意しない代わり、過去と現在のあいだの連続性を主張し、そして掘り出した彫像を、美の本質に触れるための積極的な媒介物として利用するのである。アウラに対する配慮など全くなしで、かれらは彫像を修復し、移動させ、複製する。彼らとって、芸術とは、オリジナルの純粋さに捧げられた信仰などではあり得ない。それは行為の奔流に他ならないのだ。ハスケルとペニーは、精密な議論を通して、全く逆に、むしろ複製のほうが、少しずつ、オリジナルを生み出していったことを証明する。過去や他者との結びつきを保つための手段であったものが、不変で不可触な「オリジナル」に変成するのに三世紀を要した---そして、これら古代ローマ彫像がオリジナルの地位を獲得してから、今度はギリシャ彫像という更にオリジナルな芸術の脇役の座に引きずり落とされるまでに、更に一世紀が必要であった。ローマ彫像はギリシャ彫像の色あせた複製に過ぎない、というわけだ。

オセンティシティという主題そのものが、実は、発明しうる全ての技術的手段を使った不断の再生産活動の一足遅れた副産物である。ベンヤミンは、芸術のコモンセンスというイメージの名において、その技術的複製物への変質を預言するのだが、このイメージ自体が、じつは継続的な技術的再生産の賜物なのである。ラテン語で芸術を意味するアルスとは、実は技術(テクニック)のことであり、このことを考えると、アーティスト達が自分たちの技術的手段に絶えず執着することが、ベンヤミンのでっち上げた芸術と技術の対立という図式よりもずっとすんなりと理解出来る。写真家は、写真を撮り始めるや否や、それをどうやってより写実的に見せるかではなく、焼き付けのために必要な数々の技術的選択に美的な意味を与え、印画紙の質やレンズの種類、構図などを洗練させる。ベンヤミンは、写真と同じくらい、映画についても勘違いをしている。映画には、機械的な部分など一つもない。ベンヤミンは、映画俳優とは大衆に無媒介に提供される「人格」だとしているが(xxp.231)、映画が切り取る俳優の平凡な表現ほど嘘くさいものはない---キャメラは単純に、長い連鎖に補足的な媒介を加えるのであり、その連鎖を切断するものではないのだ。撮影スタジオにおける現前性は、舞台上でのそれに比べて弱いわけでも、強いわけでもなく、またこれらの「パフォーマンス」のなかには同じくらいの技術と媒介が介在している。録音技師なら誰でも、自分の技術が生み出しているのは音楽そのものであり、なにかを再生産しているのではないことを知っているだろう。技術とは、常に、芸術生産の積極的な手段だったのであり、それまで世俗を超越していた創造物の近代的な堕落をもたらすものではなかった。ベンヤミンは、自らが批判しようとしていた、ロマン主義的なものの見方そのものの虜になっているのである。

もし、再生産なるものが、積極的な再創造であり、技術が機械とは関係ないとしたら、逆に増殖は、フェティッシュの具体的な消費のなかにおけるオリジナルのオーセンティシティの消極的な溶解以外のなにものかである。むしろ、徹底的な技術的再生産の存在を、いわば必要不可欠の条件として前提としているのは、単一性やオーセンティシティの方なのだ。音楽を例に取ると、このことが明確に分かる。つまり音楽の原初には、絶え間ない反復と規格性、構想、シェーマとその変奏があり、その後で作品というものが現れる。唯一無二の作品を作り上げる近代的作曲家などというものは近代期以前には存在しなかった。1750年という比較的最近の時点でさえ、ラモーは、自らのオペラを改めて上演する機会がある度に、その機会にあわせてそれを書き直していたのである。「イポリット…」や「ダルダニュス」の安定バージョンという言葉が幾ばくかでも意味を持ち始めたのは、20世紀中葉、レコード産業の都合にあわせなければなかったからに過ぎない。それまで、音楽は演奏されるために書かれ、作曲家は、主題とハーモニーという連続的な織物に基づいて複製し、採譜し、修正し、改変していた。もともとは、愛好家が一緒に演奏するために様々な写譜を混ぜ合わせたものであった楽譜なるものを、(二〜三世代の音楽学者がやっと作り上げた)特定の作曲家により書かれたオリジナル作品の原テクストの忠実な複製物に作り替えることは、精力的ないくつもの出版社による不断の努力なしには不可能であったはずだ。そしてその後、より長期的な第二の変形が、レコード産業の主導により、バッハやシューベルトの作品の作者がバッハやシューベルトであると理解出来る耳を持った、新しい愛好家向けのマーケットを生み出すために必要であった。絵画については、自分の描いた絵の作者として自らを変身させるために、レンブラント---そして彼以降の画家全て---が多大な努力と戦略的な洞察力を駆使していたことついて、スヴェトラーナ・アルパースが証明している。

この「作者」に関する指摘は、ミッシェル・フーコーの有名な論文以来、折にふれてあちこちで論じられている。ベンヤミンは当然、こうしたいわゆるニューアートヒストリーや作者性=権威に関する社会学について、知る由もなかったが、それでもやはり、彼が自分のテーゼを証明するために書籍の事例をほとんど使わなかったことは興味深い。あるいは、それほど驚くべきことでもないのかもしれない。「印刷機が多大な変化を…【中略】…文学に強要したことは、良く知られた話」(p.218-9)だと言うのは本当だとして、その良く知られた話というのは、実はアウラの消失とは全く違う話であり、作者の誕生と読者の新たな拡大の話なのだ。より精密に言うならば、印刷機の事例は、物資的媒体としてのテクストの機械的再生産と読書の普及とのあいだでベンヤミンが陥った混乱を、あるいはとても明確に証明してくれるかもしれない。ここでの機械的再生産は読書の単一性や多様性を妨げるどころか、全く逆に、読書の単一性や多様性を可能にしているのである。わたしが、今ここで個人的に「オテロ」を読むことが出来るのは、この本が世界中で何十億万部と印刷されて「いるにも拘らず」ではない。何十万部も印刷されて「いるからこそ」わたしの個人的読書経験は可能なのだ。

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