2008年9月2日火曜日

エニョン、テイストについて語る

フランスの社会学者アントワーヌ・エニョンが、「テイスト」という概念について、ブルデュー理論に反駁してます。「テイスト」というのは社会階層のマーカーに還元されうるものではなく、量的調査のアンケートの質問設定からはずっと個人的な興味や関心、快楽や欲望などがどうしても抜け落ちてしまうはずだ、とか言ってます。で、その「テイスト」という言葉をもう一度見直す上で、そのそもそもの意味である「味覚」というところまで戻って理論化し直そうとしている(例えば、ワインの「テースティング」)のが面白い。

もともと、カントなどの西洋哲学では味覚と嗅覚は、視覚、聴覚、触覚に比べて下等な感覚だと看做されていたらしく(味覚、嗅覚は身体に異物が入り込んで初めて成り立つ感覚であり、感覚の対象を客体化しずらい上、客観的な真理として他人と共有し難い)、それゆえ、より身体や感情に近いものとして忌避されていたらしいんですね。宗教でも道徳でも暴飲暴食は当然ネガティブなものと捉えられていたし、多分いまもそう。

そういう、蔑まれた感覚を示す言葉が、どうしていつの間にか、「高尚な」美的判断力を示す言葉に変容していったのか? このあたりをつついてですね、ブルデューが結局扱っているのは、この後者の、本来であれば二次的な意味での「テイスト」でしかなく、前者の、本来の(多分ヘドニスティックな)「テイスト」を捉えるのを忘れているんじゃないか,って言うのが、最近のエニョンの立場取りのようです(って、このインタビューではそこまで突っ込んでませんが)。

いま、その辺の本をガーッと読んでいるので、そのうちご報告いたしますです。

0 件のコメント: