2008年9月23日火曜日

フランスの高等教育機関が音楽の実技と理論を教えられないわけ

色んな意味で目からうろこの一日であったよ。シテ・ド・ラ・ミュジークで催されたこれに出席してきたんだが。その直後に同じシテ・ド・ラ・ミュジークでディヴァイン・コメディーのライブがあって、「招待券余ってるわよ」とまで言われたのが、別の約束があったために断念。実は喉から手が出るほど欲しかったのだが……。

イギリスとフランスの高等教育機関(素直に大学と言い切れないのはフランスの教育制度の複雑さ故)におけるポピュラー音楽教育のあり方について、ざっとリサーチをかけているのだが、ポピュラー音楽研究コースがどんどん高等教育に取り込まれている英国に比べ、フランスでは全くと言っていいほどこれが発展していない。そのなぜか、という根本的なところが、きょうの話を聞いていてすっきりと解ってきた。別に英国の方が進歩的で、フランスの方が保守的とかいう(ステロタイプ的な)メンタリティの問題ではなく、もっと制度的な問題みたい。あるいはそういうメンタリティが教育制度として客体化してしまっているのか。

英国の場合、1992年を境に、それまで専門学校(ポリテクニック)とされていた学校が大学として認可されるようになったんだけど、それと同時に、より若者にアピールしやすく、また雇用市場で需要のある技能を教える大学のコースが激増したのね。ポピュラー音楽研究コースがその頃から増え始めたのもそのせい。逆に92年以前から大学として認可されていた学校(ってつまり大学なんだけどさ)は、90年代後半以降になると、お高くとまっていたこれまでの態度を一変して、音楽学コースにポピュラー音楽研究コースを挿し木したり並立させたりして巻き返しを図った。リバプール大のIPMが音楽学科と合併して音楽学部になり、実技と理論を上手くまとめたコースを設置したり、ロンドン大学ゴールドスミス校の音楽学部がニーガスを教授として招いてポピュラー音楽研究コースを作ったりとか、みんなこうした動きのようです。さらには、イギリスの場合、9.11同時多発テロ前後、暴動などに向かいがちな若者たちのエネルギーの矛先を職能訓練や高等教育に向けさせるのにもポピュラー音楽を含む科目がずいぶん役に立った模様で、日本で言う大学入学資格試験であるA-Levelというテストの科目に、演奏技術を問わない(要するに電気配線や録音、MIDIの知識があれば通る)「音楽技術」というのが誕生したりしている。こういうものすごくローカルなファクターが英国の高等教育機関におけるポピュラー音楽研究コースの認知に寄与していたというわけ。もちろんだからといって、研究の質が落ちているわけではないけれど。

それまで形式音楽学的なテクスト分析を忌避してきた英語圏の研究者たちが、急に「テクストを聴け」とか言い出したのも、こういう背景を理解して考えないとなのかもな。いや、確かに音楽そのものを無視して文脈だけを論じたのでは、確かにポピュラー音楽研究というのはカルスタ(死後か?)の一分野として終ってしまうというのは確か。ポピュラー音楽研究を自律した独自の領域として考えるのであれば、少なくともなぜポピュラー音楽を聴かずに論ずるのか、について論理的な答えを用意しとかなければならない。

じゃ、フランスはどうなのよと。別に自分の住んでる場所を贔屓するつもりはないけれど、フランスのポピュラー音楽研究は、英米と肩を並べるほどに進んでいる。それも、理論面で唸らせつつ、エンピリカルに説得力をもった質の高い研究が多い。ただ、それらが体系的にまとまっていないのが、なんとなく「薄い」印象に繋がっている。まあ、日本と似た感じか。優秀な研究者はあちこちに散在してるが、結局のところ体系的にポピュラー音楽を教えている学校はない。普通だったら、なんでエニョンが鉱物学校で教えてるのか理解に苦しむでしょう。カルスタに関する感受性も日本での展開に似ていて、10〜15年前までは懐疑主義一色だったのが、ここに来てやっと、落ち着いて評価する/出来る層が現れている模様。書店の文化社会学の棚が、ここ数年で三倍くらい大きくなったのがその証拠だし、なにを思ったのかディック・ヘブディッジの「サブカルチャー」の仏訳が今年になってやっと出版された(笑)。

しかし、いろんな人に話を聞いているうち、実技と理論の双方を適切なバランスで教えるポピュラー音楽研究コースがフランスにない原因は、実はもっと厄介な問題らしい事が解ってきた。要するに、フランスでは実技指導をするコンセルバトワールという教育機関と、音楽学を教える大学という教育機関が並立していて、その間の行き来がほとんどないのである。しかも音楽学(楽曲分析、作家研究のみならず、文脈研究も含む)を教える大学の数は数えるほどしかなく、実技を教える設備・能力を持ち合わせていないことが普通なのだ。更に言えば、コンセルバトワールで三年勉強して得られる学位は、大学で同じ時間勉強して得られる学位(つまり学士号)とは全く異質の、演奏の世界でしか意味のない紙ペラである。

芸術音楽の世界でさえこうした状況なのだから、ポピュラー音楽に関しては目も当てられない。まず、実技を教える高等教育機関がない(ジャズはカリキュラムに取り入れられているが、これはまた別の話である)。音楽学のカリキュラムにポピュラー音楽が取り入れられているケースはほぼ皆無である。こうした現実のなかで、どうもフランス人の心ある演奏家・理論家は、コンセルバトワールと大学の音楽学コースの両方にダブルスクーリングするらしいが、どう考えたって無茶でしょう(!)。確かにフランス風ロマン主義の伝統と言えばそうなのかもしれないが(美しい音楽を演奏していれば、いつか報われる)、コンセルバトワールは演奏しか出来ない人(ビジネスセンスとか、企画書の書き方とか、コンセルバトワールでは教えてくれないらしい)ばかりを量産しているのである。

なんだか脈絡なくなってきたが、今日お話を聞いたシテ・ド・ラ・ミュジークのコースは、まさにそういう音楽家を対象に、じゃあプロとしてどうやって自分を売り込めば良いの?っていう、(どうやら彼らにとっては今まで一度も考えた事のない)問いに対する答えをみんなで出してゆくというワークショップだったんですね。コンセルバトワール出たての音楽家や、オペラ畑で数十年のキャリアを積みながらも経済的には窮乏していて、子どもも生まれちゃったしどうしよう的な人や、レコード会社と契約寸前間で行きながらチャンスを逃した人や、キャリア志向で目ギラギラの作曲家、ずっと趣味でロックをやっているけど、40歳になるにおよんで、音楽で食えないか真剣に悩み始めている人、などなど。

しかし、芸術音楽対ポピュラー音楽という対立は取り敢えず置いといたとしても、シテ・ド・ラ・ミュジークのような組織が、こういう人たちの求めている事に敏感に反応して、こういうワークショップを設けているという事自体が、逆に言えば、フランスのすごいところなんですよ。言ってみれば奏楽堂が芸大卒業生に対して音楽産業への売り込み方講座を開くようなもん(譬えに無理有りか?)。

京都ではそういう無理な事もしてみたいです。

0 件のコメント: