シンクロニシティなんだろうか。う〜ん、こういうオカルティック(と書くと失礼か)な物言いをするのは苦手だが。
ただ単に疾患部が除去されたっていう以上に心理的な圧迫感から清々しく解放された感じがすごくしてる。一時は「HAL9000の情けない版みたいな声」[出典:妻]といわれるほどに歪んだ自分の声を、今はゆっくり、しっかり取り返す作業をしてます。6〜7割がた回復しているんすが、カ行で喉奥使うときまだ少しひるむのと、ハ行、マ行、ナ行などで鼻に抜ける分が普段より多くなるので、大村崑とゴン太君を足して二で割ったような(あくまでも自分で聞いた印象だけど)、それはそれで新たな人格として(笑)やっていけそうな声になっている。そうこうしながら、会いたい人たちとのランデヴーはコンスタントにとれてるから、やっぱりなんか、僕の意識出来ない集合的な動きに絡みとられているのかなあ。たしかに、まだ患部が喉にぶら下がっていた時は、眠りにつくと無意識の急流みたいなものにすぐにのみ込まれてしまい(あらゆる方向から次々とものすごく急速な判断が必要な問題や質問(もはや具体的な内容は忘れたが)を突き出されて、決断を迫られる)、なんとかそれを躱しているうちに唾をのみ込んでしまい、それで喉が痛んで起こされるというのを一晩に数十回くらい繰り返してたのね。
会いたい人たちっていうのは、Peter SzendyとかLudovic TournèsとかFrançoise BenhamouとかSophie Maisonneuveとか、今のフランスの(ポピュラー)音楽研究の鍵になっている人物。要するに来年以降の講義のネタ集めなんだけど、それ以外にもね、いくつか企画は温めつつ。インタビューの内容も、時間の許す限りここで読めるにようにしたいと思います。
いずれにせよ声って、やっぱり自己アイデンティティとものすごく強く結びついてるよな、と考える今日この頃なわけである。
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