2009年1月10日土曜日

フランクフルト学派とか、ガザとか


今日はまた会計士と打ち合わせがあったりとなかなかアカデミック態勢になれなかったが、文化社会学概論のシラバス策定はなんとか出口が見えてきた感じだ。久々に社会学の本やら論文やらを引っ張りだしたり、自分か昔書いたものを読み直したり、分かったつもりになっていたことをもう一度調べ直したりという作業をやっていて感じたのは、僕たちあまりにも簡単にマンハイムとかアドルノとかホルクハイマーとかベンヤミンとかベルクソンとか言ってるけど、彼らが生きた時代の狂気みたいのを、頭でしか理解していないんじゃないの、ってこと。僕自身昔自分で書いたものとか読み直して気恥ずかしくなった。フランクフルト学派が恐れた《群衆》の帰結がこれである。
こんなことを思うのも、僕の住んでるコンピエーニュと言う町がそういう傷跡を深く残したところだからだ。いつかちゃんと調べて書こうと思っていたのだが、このところ雪と寒さでパリに行く電車が遅れがちなので、今朝、電車を待ちながら即席ケータイムーヴィーを撮ってみた。どういうことかは、画面を見てほしい。フランス北東部の町の多くで、同じような傷跡をみることが出来る。コンピエーニュ、アミアン、シャンパンで有名なランス、そしてさらに東のアルザス。皆、ナチスに侵攻されたところ。多くの場合、町は爆撃を受け、歴史的な建造物は破壊され、戦後に再建された味気ないコンクリートの建物が目立つ。装飾が極端に抽象化されたアールデコ以降の建築物がこの辺りに多いのは偶然ではない。未だに何となく、町の空気が重い気さえする。こんなに寒くて、空が青く、雪が青白く凍り付いていると、さらにそう言う雰囲気は増幅される。コンピエーニュにはユダヤ人やレジスタンス兵をドイツや中欧の強制収容所に送る中継施設があった。いまはショーア博物館になっている。
それにしても、イスラエルはいったいなにを考えているのだろう。と、会社の会計士と嘆くことしきり。彼は会計士だが、本業は作家なのだ。

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