2009年1月1日木曜日

ピーター・サンディ・インタビュー

あけましておめでとうございます。エニョンとおなじベンヤミンつながりってことで、今度はピーター・サンディのインタビュー記事です。ちょっと初出から時間が経つけれど、サンディの洞察力の鋭さをよく示してると思います。

*翻訳というよりも、自分のためのメモ的な意味があります。引用などはすべて原典を参照してください。

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ポストスクリプテュム:あなたは聴くこと、つまり《耳の歴史》について本を書かれています。あなたは、新しい技術が聴覚的な知覚能力をどのように変質させると考えますか?ヴァルター・ベンヤミンが技術的複製について書いたテクストは当然ご存知だと思います。聴くことについて考えたとき、こうした技術的進化はどのように理解なされますか?

ピーター・サンディ:あなたのおっしゃるのは、ベンヤミンの重要なテクストである《機械的複製の対象となった時代における芸術作品【L’œuvre d’art à l’époque de sa reproduction mécanisée】》(原書のタイトルの仏語訳の一つ。実は複数の翻訳版が存在する)ですね。音楽については、ほんの数行をのぞけば、ほとんど大したことは書いてないです。音楽について書いてある数行を念のため引用しておきましょう。ベンヤミンは、「大聖堂は、その敷地を離れ、愛好家の居間に入る。屋外やホールで演奏された聖歌隊は寝室に鳴り響く」と書いています。この短いパッサージュ(このパッサージュは、直接法現在で、音楽演奏における公共空間が、複製技術により私的空間に持ち込めるものになったことを示しています)、つまりこの二文からは、技術的複製により、聴くという行為が大きく揺さぶられたことが伺い知れます。しかし私には、そのようなこと以上に、様々な機器類、つまり私が耳の人口補綴【les prothèses de l’écoute】と呼ぶものによりもたらされた重要な変異のひとつは、聴くために我々に対して差し出されたものに、我々が介入出来るようになったということだと思います。私は、《Ecoute, une histoire de nos oreilles》の中で、聴き手が音楽について未曾有のアクセスを手に入れたということとともに、何よりもまず、新しく獲得したこのアクセスが、聴取に向けて差し出されたモノに対する介入が可能であることを示唆している、ということを示したかったのです。
究極的に手っ取り早く、粗雑な介入として考えられるのは、スイッチのオン・オフ自分で聴くことを停止したり、あるいは後から続きを聴くことが出来るということです。さらに、これ自体ものすごいことなのですが、私の介入は、このような最小限の可能性から、 聴取に向けて差し出されたものの変形や書き替えによる信じがたい洗練にまで拡張する可能性を秘めています。ポテンシオメータをひねって、音量を上げたり下げたり出来ますし、リバーブをかけたり、リバーブを取り除いたり、様々なエフェクトを重ねたり(例えばディストーションなどです)、空間内で音を左から右へ、右から左へと移動させたり出来ます。また、巻き戻したり、正方向に再生したり、逆方向に再生したり出来ます。最後に、そしてこれがもしかすると私にとっては一番重要なのですが、複製媒体に私の聴取の記録を彫り付け、書き込み、記入することが出来るのです。確かに、大抵の場合、こうした記録は事前に刻印されています。コンパクトディスクには、トラックというものがありますが、これは、私が(書籍で言うようなブックマークに引っ掛けて)トラックマーク【marque-plages】と呼ぶもの、つまりインデックスであり、それ自体、原始的な書き込みの一形態な訳です。しかし、少しずつ、傾向として、より精密で、より繊細な別の形の書き込みを可能にする機器が出てきています。このように、人口補綴、つまり、新しい聴取対象へのアクセスを可能ならしめている道具類は、同時に、これらの対象に対して、粗雑なやり方にせよ、より洗練されたやり方にせよ、私たちが介入することを可能にしているのです。
同じ進化に関するもう一つの証拠、あるいは兆候として、DJという実践があります。DJの実践を観察するならば、DJとは、本質上、自分の聴いているものに対して介入している聴き手なのだということを認めざるを得ないのではないか、と私は考えます。結局のところ、居間や寝室でレコードを聴き、そして(音量を上げ下げしたり、電源を消したり、もう一度聴き直したり、1曲目から10曲目に直接ジャンプしたりなどという単純な方法で)それを変更する私という存在と、究極的にはコンサートで演奏する聴き手であるDJの仕草との間には、本質的な差異はないのです。DJとは聴き手として、観客の前で《演奏》する聴き手です。つまり、自らの聴取を演奏し、自らの聴取に署名する聴き手なのです。DJとは、自らの聴取に自分のブランド、自分の名前、自分の署名を刻み込む聴き手ということになります。このように、音楽の複製機器がもたらした大きな揺さぶりというものは、新しい聴取対象へのアクセスを可能にしたというばかりではなく、同時にそれらを書き直すことを可能にした、ということなのです。

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